http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100321-00000023-jij-pol
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観察
まあまあ、落ち着いてとか、まあまあ、・・・・
曖昧さの中にお互いを許しあう、
始まりの言葉が無くなって来ている。
曖昧さの中で、余りにも誤魔化して来た事の付けが、
ついに出たという感じだ。
まあまあは、いさかいが始まる一歩手前の言葉だった筈。
考察
一歩手前が無くなったと言う事なのか。
いさかいは、それぞれの勢力が、
正しいと思う事を言い合う事から始まるものだ。
お互いに正しいと思っているから、
主張を引っ込める訳にも行かないが、
本当は争いたくないと、思っていた様に感じる。
客観的な見方を
示してくれる仲介者が出て来て、
まあまあと言う言葉が、
仲介の合図の様な気がしていた。
本当は争いたくなかったから、
仲介を受け入れて来たのではないだろうか。
どこら辺で、おかしく成って来たのだろうか。
仲介人が居ないのに、本来仲介者が言う言葉を
当事者が言う様に成ってからでないか?
争っている相手に、まあまあと言われても、
まあまあと言う勢力の主観を元に説得されてしまう。
説得される側も、多少知識が付いてくると、
世の中の正論と言うものを盾に反撃するし、
主観を元に正論を歪曲してでも使ってしまう。
推察
第三者が
居ない様な気がする。
多様な価値観と言うか、
物事の捉え方を許容してしまった以上、
客観(普通)と言うものも沢山存在するので、
普遍性が損なわれている。
従って、客観を言えなく成って来ているのが、
現状では無いだろうか。
(参考文書 普通とは)
洞察
いさかいをしている者以外で、
誰かが仲介をしようにも、言われた方は、
どちらかに近い考え方と捉えるので、仲介にならない。
まあまあが言える立場の人間は、
昔は、一般常識人といわれた人たちだったが、
今は、何らかの強制力を持つ(評価する者)
以外の意見は意味を持た無く成って来ている。
ある意味分かり易いが、少数意見でも、多数意見でも、
力を持つ誰かの影響下に置かれているのは、確定的だ。
2007/01/04