写真家ルッチーこと鶴岡です。

もうね、日向では帽子がないと

すぐに頭が痛くなります。

どこかお店に入れば冷房が強くて

入った瞬間は気持ちいいのだけど

段々と身体の芯から冷えてきます。





太陽ギラギラ








最近、うつの記事を書くと

アクセス数が上がる、

いいねの数が上がる、

写真の記事よりも数字が

いいことに気づきました。

オイオイオイ…






昨日こんな記事を書きました。



「うつ」になったことの意味なんて…





で、記事を上げた後、

ふと、自分のうつの話を

整理して書いた記事がないな、と

思ったのでこの記事で

みなさんにお話しします。






気づいたら干支一回り以上、

15年間、うつという強制終了の中にいました。

15年とは言ってもその間で

しばらく動けなかった時もあれば

アルバイト程度に働くことが

できていた期間もあります。

ただ、30歳代に入ってからは

本当にうつの波が激しく、

「強制終了期間」と言う言葉が

ぴったりでした。






きっかけは新卒で働き出して半年後。

出勤前に自宅の階段を下りたら

腰から左脚に痛みが走り、

会社を休んでそのまま病院へ。

その日から3年間、

左脚の痺れから杖をついての生活でした。

最初は整形外科に通院していましたが、

原因不明で転科を繰り返し、

2年くらいたらい回しにされていました。

ちなみにその時に精神科にも行きました。






別の神経科でうつと診断されたのが

発症から3年後。

しばらくして杖なしでも歩けるようになりましたが、

それから10年間、薬を飲み続け、

入退院を繰り返していました。





今思えば、新卒の会社では

できない自分が苦しくて、

自分責めの日々でした。

そして、

弱音吐いちゃいけない、

行けない自分はダメなヤツ、

仕事はできなきゃいけない、と

ずっと他人軸で頑張ってしまったので




身体を動けないようにすることでしか

この頑張りを止められなかったのだと思います。





会社を辞めてからも

働いていない自分に×をつけて

とことん自分責めをしていました。






そんな自分が去年、薬をやめ、

好きなことをして暮らしています。






去年、紀凜と初めて話したときに

ぽろっと喋ったうつの話。

そこで紀凜からは

「そっかー、もう好きなことしかできへんねえ」

と言われました。






それは

「好きなことしかできない」



「好きなことだけしてればいい」

とも言えるけど、

「我慢できない」という方に

ピントが合ってしまい、

のどに魚の小骨が刺さったような

後味の悪さがありました。






今考えれば

まだその時は

「我慢できないのは一人前じゃない」

「苦労して一人前になるのだ

という「がんばり教」の教えが

抜けていなかったのです。

今はそんな教えもどんどん抜けています。






最近、うつの話になったり、

体調のことを聞かれたときは

こう答えています。






うつ、辞めたから






その言葉が一番しっくりくるのです。

感覚としてぴったりな言葉です。






そんなわけで

うつネタもちらほら書いています。






ルッチーでした。


by ちゃたさん