高杉晋作ファンの私、今回のバイク旅は…

 

”晋作ゆかりの地巡り” をサブテーマに設定。

萩まで足を延ばして、高杉晋作たち松下村塾四天王(吉田稔麿・入江九一・久坂玄瑞)の誕生場所を訪問しました。

 

 

 

【 高杉晋作 誕生地 】

 

 

堀と海に囲まれた萩の町…

萩城の外堀近くにある地域には、江戸時代の町割りをそのまま保存したかのような光景が残っている場所があります。

 

 


 

 

 

よくある ”街道の宿場町” みたいな通りに面した所だけの景観ではなく、脇道に入ると別世界になる事が、この地区の特徴だと思いました。

萩は空襲を受けなかったので、築城当時の道が至る所に残っています。

 

 

 

 

 

 

 ここは、萩城下町地区。

 

 

 

 

 

 

元武家屋敷街で ”菊屋横丁” と呼ばれています。

 

 

 

 

 

 

それでは行ってみましょう。

 

 

 

 

 


晋作の生家は、菊屋横丁の中程に現存しています。

 

高杉家は200石取りの毛利家譜代家臣だったので、城の外堀から近い場所に居を構えていました。

晋作ファン歴三十有余年の私、やっと来れたという万感の思いが先走る(笑)

 

 

 

 

 

 

 では、入ってみようと思います…

 

 

 

 

 

 

毛利家三百年の譜代家臣として、代々主君側近として仕えた高杉家。 徳川幕府で云うならば ”直参旗本の家格” です… その割には敷地が狭い。

 

移築された物なのかと思い管理人さんに聞いてみると、 「公開している母屋部分は移築をしたものではなく、晋作が生まれた当時そのままの建物です。 敷地は今の三倍位あったんですよ」 との事。

 

当時の敷地は500坪以上あり、高杉家が萩から東京に出る時に敷地を手放しました。 それを買い取った方が、後に敷地の2/3(家人の建物や庭、厩があった部分)を売却したのだそうです(納得)

 

 

 

 

 


 玄関横の部屋には晋作の妻 ”雅さん” の写真(左)も飾られていました。

 

 

 

 

 

 

その先には、晋作の産湯としても使われた井戸が残っています。

 

 

 

 

 

 

受付の横へ入っていくと…

母屋の内部が伺えました。 左奥に飾られている写真は、晋作の実父である ”高杉小忠太” さんです。

 

 

 

 

 

”おもしろきこともなき世をおもしろく…” 

 

 

激動の幕末に大傾奇を演じて魅せた高杉晋作。 希代の英傑は、ここで生まれ育ったのですね。 

帰りの道すがら…

 

生垣に囲まれた公園を覗いてみると、高杉晋作立志像を発見。  

 

 

 

 

 

晋作に見送ってもらった様な気持ちになる私…(自意識過剰w) 軽く一礼して、次の場所に向かいました。

 

 

 

 

【 吉田稔麿 誕生地 】

 

 

奇兵隊分隊 屠勇隊 初代隊長。


萩の郊外にある松陰神社の裏手、初代総理 伊藤博文の旧宅近くに在ります。 

こじんまりとした顕彰碑が建てられていました。(稔丸?間違ってない?) 生垣の隅にあり、注意していないと見過ごして通り過ぎてしまいます。 

 

 

 

 

松陰は晋作の事を ”陽頑” 、稔麿の事を ”陰頑” と表現し、「稔麿の見識は晋作を彷彿す。 ただ些才あり。 これ大にその気魄を害す。」 …つまり、小賢しい所があるので、それが悪影響を及ぼす事がある、と指摘しています。

 

その心配が的中したのか… 稔麿は京都の池田屋で ”御所放火” という、とんでもない密談をしていた疑いで新選組に襲撃され命と落としています…

 

 

 

 

【 入江九一 誕生地 】

 

 

住宅街の片隅に… 小さな顕彰碑が建っていました。 

 

 

 

 

入江九一は吉田稔麿と並び立つ、超過激な尊王攘夷の志士。

 

弟の和作と共に、長州藩で幕府恭順派筆頭だった ”家老 間部詮勝” の暗殺に固執するも、最終的には暗殺に反対していた晋作と共に奇兵隊創設に尽力、参謀として戦いました。

 

足軽から ”馬関総奉行”(長州藩関門海峡守備隊司令官)まで出世するという、幕末サクセスストーリーを体現した志士でもあります。 ちなみに、九一の妹(すみ子)は、初代総理大臣 伊藤博文の最初の妻です。

 

 

 

 

【 久坂玄瑞 誕生地 】

 

 

晋作の一つ上の幼馴染みでありライバル、そして生涯の盟友… ”松下村塾の龍虎” と、晋作と並び称された久坂玄瑞。 立派な顕彰碑が建てられていました。

 

 

 

 

晋作を吉田松陰に引き合わせたのが久坂玄瑞です。 藩医の息子として生まれ育ち、吉田松陰が ”防長年少者第一流の人物たり。 天下の英才なり。” と絶賛。 自分の妹を嫁にさせたほどの逸材。

 

玄瑞の存在が無ければ、薩長同盟が成立する事は難しかったでしょうし、何より晋作が幕末の世で暴れ回る事もなかったでしょう…

 

 

 

 

松下村塾四天王… 維新を見届ける事なく散った ”維新の立役者たち” の誕生地訪問、ミッション・クリアOK

 

 

 

 

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それでは、次号で sei
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