安房勝山 竜島海岸

 

 

珈琲ブレイクした時、地元の方とお話しする機会に恵まれました。

バイクの話だけでなく、地元の伝承とかも聞かせてくれて、楽しい時間を過ごした私w

 

その話の中で...

安房勝山は、”戦いで敗れた源頼朝が、小舟に乗って逃げて来た場所” だという事を知りました。

 

  • 頼朝の命運を左右した男
  • 頼朝を匿った一族の末裔

 

…の話には興味津々。

何度も立ち寄っていたのに、今になって石碑を発見w

 

 

 

( 竜島海岸 源頼朝上陸地の碑 )  

 

 

後日、色々と調べてみると...

 

”教科書に載っていない頼朝の裏話” も発見。

雨で予定が流れてしまい、暇なので、”落ち延びて来た頼朝の話を安房勝山側の目線” で紹介しますw

 

お暇な方はお付き合いください。

 

 

 

刀 頼朝の命運を左右した男

 

 

時は平安時代末期...

後白河天皇の息子である三条宮は、全国の武士に対して平家打倒の号令(以仁王の令旨)を発します。

 

逼塞を余儀なくされていた源氏諸将は、この令旨に呼応。

幼い頃より伊豆に流罪人として幽閉されていた、名門清和源氏の嫡流である頼朝を総大将に担ぎ、平家打倒の狼煙を上げます。

 

しかし...

要の戦であった ”石橋山の戦い” で大惨敗。

蜂起軍は壊滅。

 

 

 

 

 

 

真鶴半島の岩穴に追い詰められた頼朝に、平家から ”頼朝追討令” が発せられたとの報告が入りました。

 

”捕縛されれば死罪は必定、

ここは一旦退き、再起の機会を見付けましょうぞ!”

 

御大将は絶対に死んではならないと、涙ながらに申し出る家臣達。

その進言に、伊豆国を脱出する決意を固めた頼朝...

数名の家臣と共に、海路で房総半島を目指しました。

 

 

 

( 頼朝逃避行ルート ) 

 

 

↑ここまでは、歴史の教科書に載っていますよね。

歴史に埋もれた男の話は、安房に到着してから始まります...

 

 

 

武士 頼朝、絶体絶命?

 

 

黒潮の流れに乗った小舟が辿り着いたのは、安房国 竜島海岸...

 

ここは、 ”安西水軍” を率いる一族の領地です。

竜島海岸は水軍の拠点 ”勝山城” から北へ1㎞ほどしか離れておらず、安西一族の手勢に、いつ発見されてもおかしくない場所でした。

 

 

 

 

 

 

この安西氏、対岸の三浦半島を支配する源氏一族 ”三浦氏” と姻戚関係を持ち、江戸湾の入り口を押さえている、房総の水軍では最強の一族...

 

源氏と姻戚関係にあるといっても、追討令の出ている ”謀反人頼朝” を捕らえれば、安西氏にとっては大手柄となります。

頼朝は念のため、上陸する前に勝山城へ家臣を送り、我が身の保護を求めました。

 

 

 

( 漁港の裏手にある小山が 勝山城址 )  

 

 

勝山城の主は、安西三郎景益

房総水軍で最強を誇った、安西一族を束ねる頭領。

 

景益の返答次第では、平家方に突き出される事も考えられました。

頼朝は何時でも逃げられる様にと、”みさご島” に船を留めたまま、城へ遣わした家臣の帰りを待つ事にします。

 

 

 

竜島海岸  手前が ”みさご島” 奥が 浮島  )   

 

 

 

武士 景益の返答や如何に?

 

 

景益は ”敵の大将首” を手中に収めているも同然です。

平家に突き出せば恩賞は思いのまま、生かすも殺すも自分次第...

使者の口上に、究極の選択を迫られる景益... その応えは?

 

”暫しのご不便、ご容赦願いまする...”

 

弓折れ矢尽き果て落武者となっていた頼朝は、九死に一生を得ます。

景益は ”平家にあらずんば人にあらず” と言われていた世に、謀反人の総大将を匿い再起させる、という壮大な作戦を実行する決断をしたのでした。

 

 

 

武士 3つの作戦を成功させた景益

 

 

【作戦1】 戦支度が整うまで隠し通せ!

 

3方向を海で囲まれた安房国...

今の状態で攻め込まれたら袋の鼠です。

戦支度が整う前に頼朝の存在を平家方に知られれば、一族滅亡の可能性大。

 

景益は家臣を一人呼び、水軍の支配下で目立たず逃がしやすい ”隠し舟屋” で頼朝主従を匿う事を命じました。

壁に耳あり障子に目ありのご時世、城の外に匿う事にしたのです。

 

 

 

【作戦2】 房総の武士を味方につけろ!

 

隠密作戦で戦支度を整えた景益...

頼朝隷下の軍団が固まると、勝山城に ”源氏の白旗” を掲げさせました。

 

東・西・南を海に囲まれた安房国...

房総北部の有力国衆である ”千葉氏””上総氏” を味方につけない限り、頼朝を房総半島から出す事は不可能。

 

景益は命を懸けて両氏の元へ出向き、頼朝への臣従を働きかけました。

同時に、関東の源氏方諸将へ ”頼朝存命の檄文” を送ります。

 

”我らが御大将頼朝公、安房国勝山城で存命にて候”

 

石橋山の大敗で頼朝は行方知れず... と意気消沈していた源氏方諸将に、頼朝存命の希望を与える事に成功しました。

 

 

【作戦3】 後顧の憂いを断て!

 

景益が千葉氏と上総氏に調略を仕掛けている頃...

頼朝は安西・三浦連合軍と共に、安房南東部の豪族である ”長狭氏” 討伐へ向かっていました。

 

この長狭氏、頼朝存命と知るや、寝所に夜襲を掛けてきた因縁の相手。 北進した時に、挟撃してくる恐れのある一族です。

殺られる前に、成敗しておかなければなりません。

 

両軍は勝浦の ”一戦場” で激突。

地の利を知り尽くしていた安西一族の助力もあり、鴨川一帯を支配していた長狭氏の討伐に成功、後顧の憂いを断つ事に成功します。

 

”頼朝公、安房国を平定!”

 

落ち延びて間もない頼朝が、疾風の如く安房を平定したという話は、瞬く間に関東の豪族や地侍に拡がりました。

 

 

 

( もう一つの頼朝伝説がある鴨川の ”仁右衛門島” 渡し船 )

 

 

 

その時、歴史が動いた...

 

 

景益の調略も功を奏し、安房平定の一報を聞いた千葉氏・上総氏(共に平家血筋)が臣従を表明、房総北部の平家方を掃討し始めました。

 

”千葉介、上総介の両名、頼朝の軍門に降る!”

 

関東一円の豪族に衝撃が走ります。

なんと、坂東八平氏の名門である千葉氏と上総氏が、戦わずして頼朝に従ってしまったのです。

 

貧乏くじを引くまいと風見鶏を決め込んでいた諸将も、この報を機に雪崩を打って臣従を表明、房総半島を出る頃には数万騎が参集、頼朝は大きな戦いもなく ”父祖伝来の鎌倉へ凱旋” する事が出来ました。

 

その後の展開は皆さんご存知の通り、甲斐源氏の武田信義と合流して ”富士川の合戦” に勝利します。

 

 

 

 

 

 

歴史に埋もれた頼朝再起の物語...

 

”敗軍の将に落ちた頼朝に、再起のチャンスを掴ませたのは俺達の忠義があったからだ!” 

 

安房の武士達が豪語したとしても、言い過ぎではないでしょうw

歴史に ”もし” は無いけれど...

 

 

もし... 安西一族が目先の手柄に惑わされてしまい、頼朝を討ち取ってしまっていたら?刀

 

 

鎌倉幕府は不成立? 北条時宗は出て来なかった? 

元寇で負けてモンゴル帝国の一部になっていた?

足利尊氏、織田信長、秀吉、家康も出て来なかった事になる???

 

 

 

 

画像 www.rekishijin.jp   

 

 

ちょっと言い過ぎました...m(__)m

 

しかし...

 

今は跡形も無い勝山城と同様に、安西三郎景益と一族郎党が、”頼朝の命運を左右した” 事の詳細は、教科書にはもちろん鎌倉幕府が作った ”吾妻鏡” にも出て来ません。

 

歴史は勝者によって作られると云います。

頼朝が落武者だった時の記録は、残したくなかったのでしょうか?

真実を知るのは景益のみ...

 

 

 

武士 安西水軍のその後...

 

 

景益の時代から約250年後...

戦国大名になった安西一族に悲劇が訪れました。

 

南総里見八犬伝で有名な里見氏に、安房を丸ごと乗っ取られてしまいます... その後の歴史書には、安西水軍としての活躍は全て ”里見水軍” として記録されてしまいました。

 

歴史の波に飲み込まれた安西一族...

悲しきかな、表舞台から消えて行きました。

 

 

 

刀 頼朝を匿った一族の末裔

 

 

石橋山の戦いで敗走した頼朝を助けた真鶴半島の人々と同様、この安房勝山にも、”平家の追手から頼朝を匿った人達の逸話” がありました。

一部を紹介しておきますね。

 

 

 

 

 

源頼朝から姓を授かった人々

 

・艫居(ともい)さん

 → 頼朝が乗った舟の魯を漕いだ

・渡(わたり)さん

 → 舟の先導をした

・鰭崎(ひれさき)さん

 → ヒレが反った立派な ”鯛” を献上した

・生貝(いけがい)さん

 → 空腹の頼朝を獲ったばかりの貝でもてなした

・綿鍋(わたなべ) さん

 → 穴開きの鍋に綿で栓をして飯を炊いてもてなした

・左右加(そうか)さん

 → 左右から味方が加われと戦勝祈願した神社の宮司

 

※この姓の方々以外も、安房には現存。

 

 

 

裸一貫で落ち延びて来た頼朝...

褒美の品を渡す代わりに ”姓を授ける” 事で、安房勝山の民へ感謝の気持ちを残したという事でしょうか。

 

命懸けで頼朝を匿った人々の末裔は、800年以上経った今でも、授かった名前を大切に守り続けています。

 

 

 

あとがき

 

ツーリングの途中で何気なく立ち寄っていた場所には、”歴史に埋もれた男” の物語が伝わっていました。

信じるか信じないかは、あなた次第w

 

”へぇ~、そんな見方もあるんだね~” 位に読んでもらえたなら幸いです。

最後までお付き合いいただき、有難うございました。

 

 

 

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※ 大黒山展望台は勝山城址ではありません。

勝山漁港の船溜まりの真後ろに、天守閣の様な建物があるのが見えますが、これは ”展望台” なのでご注意願いますw

 

 

 

※ 南総里見八犬伝 ”安西三郎太夫景連” は景益がモデル。 

※ 頼朝は ”這う這うの体で安房へ逃げて来た” or  ”安房へ落ち延びる事は蜂起失敗時の戦略だった”、 安西一族の功績は諸説あります。 しかし、逃亡先である安房での保護が無ければ、平氏の討伐軍によって捕らえられていた or 討ち取られていた可能性は否めません。

 

 

 

 

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それでは、また来週 sei
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