下関市郊外、吉田の町端に佇む東行庵…

ここに、維新の英傑 高杉晋作は眠っています。

 

 

 

 

 

 

 

【 長州藩 奇兵隊初代総督 高杉晋作 】

 

 

激動の幕末を雷電の如く駆け抜け、諸藩を ”倒幕” に決定付ける戦いを勝利するも、維新の夜明けを見ることなくこの世を去る…

享年27歳。

 

 

 

 

 

 

高杉晋作の活躍と言えば…

 

映画やドラマでは、派手で格好良い部分がフォーカスされています。

高杉晋作の ”あまり知られていない部分” を私なりの目線で紹介したいと思います。 お暇な方はお付き合いください。

 

 

 

 

~ 晋作が死ぬ気で愛した女性 ~

 

 

【 晋作、24歳にして ”お妾さん” を囲う 】

 

 

時は文久3年… 晋作24歳、奇兵隊初代総督を拝命した頃の話です。

下関防衛任務に就いていた晋作は、運命の人と出会いました。 女性の名前は ”此の糸”(このいと、本名は ”うの”) という、下関の芸子。 

 

萩には妻子のいる晋作でしたが、20歳だった ”おうの” を身請けします。

 

 

 

”おうの”  谷梅処

 

下関の人気芸者:此の糸(本名:うの)

 

出自・生年不明。 11歳の時に売られたという記録あり。 元水戸藩士の娘、萩の商家の娘ともいわれている。

 

出家後の通称:梅処尼(ばいしょに)

明治の戸籍名:谷梅処(たにばいしょ)※

没年:明治42年8月7日(1909年)67歳

 

※晋作が藩から処分を受け、高杉家を廃嫡後に谷家150石を賜り ”谷潜蔵” を名乗ったので、谷姓を届け出た。

 

 

 

 【 晋作 ”おうの” を溺愛する 】

 

 

晋作の ”おうの” への愛は半端なく、時間のある時は常に一緒に居たそうです。 時には、戦の真っ最中なのに ”着流しに相合傘” といういで立ちで、奇兵隊の駐屯所へ ”おうの” を連れて現れたという記録が残っています。(奇兵隊日記より)

 

 

 

 

長崎のグラバーの所へ ”下関開港の密談” をしに行く事が漏れてしまい、藩内の攘夷急進派から命を狙われた時は、「死ぬる時はお前と一緒じゃ!」 と、妻子を置き去りにし ”おうの” を連れて愛の逃避行。(今の世なら確実にクズ認定w)

 

愛を通り超えて、もはや溺愛...

 

明日戦死するかもしれない若武者を献身的に支えた ”おうの” ですが... 幸せは長く続きませんでした。

出会って2年半後、晋作は喀血して倒れてしまいます…

 

 

 

 

【 正妻の意地と妾の意地 】

 

 

「晋作、喀血し倒れる!」 の報は、萩の正妻雅子にも届けられます。

正妻の雅子は萩から嫡男 梅之進を連れて、下関へやって来ました。(晋作ある意味ピ~ンチw)

 

当時はまだ厳格な封建社会…

 

雅子の立場は ”長州藩大組 直目付役 高杉小忠太の嫡男の妻” であり、”長州征伐軍から萩を守った英雄高杉晋作の正妻” です。 元芸子の ”おうの” との身分は雲泥の差。 元芸子の妾に夫の死に水を取らせたとなれば、高杉家末代までの恥…

 

 

 

(晩年の 高杉雅子)

 

 

晋作を甲斐甲斐しく懸命に看病していた ”おうの” の姿を目の当たりにした雅子は、女の意地を大爆発させてしまいます。 

雅子は妾の ”おうの” に、晋作の看病を許しませんでした。

 

”おうの” は文句や愚痴を言う事もなく ”お妾さんの立場” を守り、晋作の帰りを祈りながら待ったそうです。 

しかし、倒れてからたったの半年後…

 

”おうの” の最期の見舞いは叶わずに、晋作は旅立ってしまうのです。

 

 

 

 

【 晋作が愛した ”おうの” の生涯 】

 

 

晋作の亡骸が ”無隣庵” (山縣有朋の私有地)に葬られた事を見届けると、”おうの” は剃髪して尼僧になり、梅処尼(ばいしょに)と名乗りました。 彼女は俗世を捨て、晋作を弔う道を選んだのです。

 

当時、武家の未亡人が出家する事は普通の事でしたが、お妾さんが旦那さんを弔う為に出家する事は、非常に珍しい事でした。 (晋作の名誉を守る為、強制的に出家させられたという説もあり)

 

 

 

出家後の ”おうの”(梅処尼)

 

 

”おうの” の出家を知った、晋作の仲間達は心を打たれます。

 

”おうの” の気持ちに感動した山縣有朋に至っては、自らが所有していた ”無隣庵” の敷地建物全てを彼女に贈り、その心意気に応えました。 奇兵隊士として一緒に死地を潜り抜けた伊藤博文・井上馨や旧藩主毛利元昭等も多額の寄付をします。

 

こうして、”無隣庵” を晋作の御霊を供養する ”東行庵” へと大改修し、”おうの” がずっと晋作の傍で過ごせる様にと、初代庵主として迎えたのです。

 

出家して晋作の菩提を弔う ”おうの” に、正妻雅子も心を許すようになり、東京見物に来た ”おうの” を晩年の雅子がもてなしたという記録も残っています。

 

 

 

(出家した ”おうの” が過ごした東行庵)

 

 

 

晋作のお妾さんでしかない ”おうの” の為に、明治政府の要人となった伊藤博文や山縣有朋は、何故ここまでしたのでしょうか?

 

一説によると... ”おうの” は出陣前の奇兵隊員達の腹ごしらえを手伝ったり、重症を負った隊員を夜通し手当てをしたり... 時には、駐屯所で休養する隊士たちの前で、晋作の三味線と唄に合わせて舞を披露した事もあったとか。

 

”おうの” は奇兵隊員達にとって、戦友となっていたのでした。

晋作と死別して出家した ”おうの” は... 67歳の生涯を終えるまで、一度も還俗する事なく尼僧のまま生涯を終えます。

 

 

 

(おうの の墓)

 

 

強制的に出家させられたという説もありますが…

”おうの” は晋作の死後42年、67歳まで生きています。 還俗して、女性として生きるチャンスはいくらでもあったのです。

 

晋作と一緒に過ごせたのは、僅か2年半ちょっと… 大半は、戦いに送り出して無事に帰って来る事を待つ生活。 そんな男を弔う為に、”おうの” は晋作の墓を守り続けました。

 

 

 

(手前がおうの、中央右奥が晋作の墓)

 

 

晋作が愛した ”おうの” は… 振り返れば晋作が見える場所で、慎ましやかに眠っています… 合掌。

 

 

 

 

【 晋作、斜め上を行く人だった 】

 

 

坂本龍馬と結託してグラバーから最新式銃を闇購入したついでに、藩に内緒で数万両もする新型船を購入したり、藩のやり方が気に食わないと頭を剃って勝手に ”10年の暇を宣言して出家” したり… 

 

晋作の奇抜な行動はたくさん残っています。

 

 

(晋作が出家して引きこもった草庵の跡)

 

 

その中でも極めつけなのが…

 

お妾さんとラブラブの時に、正妻の雅子さんに対して ”私が死ぬる事あらば、操を立てよ” という、ちょっと意味不明な手紙を送り付け、暗殺の危機にあった時には、お妾さんと逃避行(汗)

 

今の世ならば、謝罪会見だけじゃ済まない話ですよね。

嘘みたいな話ですが、これも史実です(笑) 

 

 

 

 

【 晋作、男冥利に尽きる⁉ 】

 

 

東行庵には、高杉家累代の墓(正妻の高杉雅子と嫡男 梅之助も埋葬)と、愛妾 ”おうの” の墓が一緒の敷地に存在します。  元々、高杉家の墓は萩の実家近くにあったそうですが、わざわざ東行庵に改葬したのだそうです。

 

 

 

(高杉家累代の墓)

 

 

正妻とお妾さんに囲まれながら眠る、晋作。

しかし、高杉家の墓は ”おうの” の墓よりも遠い位置にあり、晋作と ”おうの” を横から見つめる角度で建っているんです。

 

英雄、色を好むと言いますど…

 

”自分が死んだ後は操を立てよ” と命じた妻に、自分と愛人の墓を見つめられて眠るのは、どんな気持ちなんでしょうか? 晋作の立像を見上げながら、心の中で呟いた私なのでありました(笑)

 

 

 

 

 

 

愛妾と正妻が傍に居てくれるだけでなく…

身命を賭して戦って散った、奇兵隊士たちにも囲まれている晋作。

 

 

 

( 奇兵隊士達の墓 )

 

 

 

農民や町人の末弟が大半を占め、侠客や無宿人も多かった奇兵隊士。 故に、葬られても無縁仏になったり、山野に墓標を残すだけの者が多かった…

 

そんな奇兵隊士の御霊を哀れに思った 三代目庵主 谷玉仙尼が、長州各地に散らばっていた奇兵隊士の墓を一つ一つ訪問し、お経を捧げて墓石や墓標を東行庵に回向したのだそうです。

 

 

 

 

 

 

晋作は病の床で 「奇兵隊士と一緒に眠りたい…」 と言っていたと伝わっています。

男冥利に尽きるってのは、こんな事を言うんでしょうか。

晋作の墓に戻り一礼… 東行庵を後にしました。

 

 

この後は…

奇兵隊の屯所が設置されていた ”奇兵隊吉田駐屯地跡” を訪問

 

 

 

 

 

 

時代を切り開いた奇兵隊…

 

晋作が亡くなった後、この ”吉田駐屯所” を最後に解散することになります。 

波乱万丈で数奇な運命を辿った奇兵隊最後の駐屯所跡は、畦道を進んだ先の田んぼの中にひっそりと記念碑と銅像が建てられていました。

 

 

 

激動の幕末をフルスロットルで駆け抜けた高杉晋作。 エンジンブローしたのは、大政奉還の半年前… 維新の夜明けを見せてあげたかったと、心から思った旅になりました。

 

 

 

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それでは、次号で sei
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