リメンバー・パールハーバー (勇者の国立記念館) | 53歳 おっさん社長の日記

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このブログはもう8年ぐらい前から書いております。タイトルも入れ替えて、月に数回書いていきたいと思います。コメントは放置でしたが今後は書くようにしたいと思います。

昨日は一日展示会に参加していました。

結構疲れました。

今日一日展示会に参加いたします。テーマが面白いので、いろいろ試せるなと思っております。

さて、先日とあるところで青山繁晴さんの講演を聴いてきました。

そして、青山さんにある70代後半の方が質問されたのです。

陛下が参拝できない靖国神社に違和感を覚えると。

その時、僕は母親の顔が思い浮かびました。実は、僕の自宅から靖国神社へは散歩コースになっています。年に1、2度は靖国神社に子供を連れて散歩するのです。

母親が来ているあるときに、彼女を靖国神社に誘いましたが、彼女は頑として行きたくないというのです。

彼女の兄が靖国に眠っているはずです。彼は学徒動員でフィリピンで戦死しているはずです。なので、僕は靖国に行くと英霊と言うよりは見たことのない伯父に挨拶に行っているつもりになっています。もちろん、その背後に英霊の方々がいらっしゃるというのは自覚していますけれども。

そして、その方の背景をお話になったのですが、やはりそれは日本の悪いところをご覧になっているわけでもあります。

日本人は良くも悪くも変わり身が早いので、いったん敗戦が決まると手のひらを返すように、戦後処理に当たります。

あっという間に、アメリカ的な考えが日本を支配していました。それを見ていた若き母やその方は、日本がさぞ悪いことをしたのだと思ったのでしょう。

もちろん、アメリカはワーギルトオペレーションなるものを実行して、日本がまたアメリに歯向かうことのないようにしてしました。

さて、青山さんは見事な解説で、陛下は戦犯が合祀されているから参拝できないのではなく、政治問題になっているから参拝できないのであるということを明示されました。

そのついでに、こんな話をされたのです。

ご存知のように、日本は大東亜戦争の開戦に米国の真珠湾を攻撃しました。
真珠湾歴史記念館郡

そして、米国はそれを記憶していくために様々な記念施設をハワイに残しております。

ホノルルの陸軍記念館、航空記念館、ミズーリーの記念館、それから、WWII 太平洋の勇者国立記念館があります。

勇者というのはVALORという単語になりますが、これは結構強い単語です。普通はまず使いませんね。僕も青山さんが発言するまで知らない単語でした。

それが、この太平洋の勇者国立記念館(俗称 アリゾナ記念館)に書かれています。

そして、このサイトの歴史を読むとこんな表現に出くわします。

The Japanese government viewed these measures, especially an embargo on oil, as threats to their nation's security. By the summer of 1941, both countries had taken positions from which they could not retreat without a serious loss of national prestige. Although both governments continued to negotiate their differences, Japan had already decided on war.

The attack on Pearl Harbor was part of a grand strategy of conquest in the Western Pacific. The objective was to immobilize the Pacific Fleet so that the United States could not interfere with these invasion plans. The principal architect of the attack was Admiral Isoroku Yamamoto, Commander-in-Chief of the Japanese Combined Fleet. Though personally opposed to war with America, Admiral Yamamoto knew that Japan's only hope of success in such a war was to achieve quick and decisive victory. America's superior economic and industrial might would tip the scales in her favor during a prolonged conflict.

まあ、よかったらこの歴史の部分をグーグル翻訳で翻訳してみてください。ちなみに、valorというのはグーグルでも上手く訳せないみたいですね。

これは、日本軍が侵略していることを認めてはいますが、真珠湾が不意打ちだったとは書かれていません。しかも山本五十六提督の戦略がグレートだとも書かれているわけです。

どうにも、我々が教わってきたこととは違いますよね。

青山さんに因れば、このVALORというのは、アメリカ人だけに向けたのではなく、日本人にも向けて書かれているとのことです。確かに、日本人は勇猛に戦いました。無謀な戦いはあったのですが、卑怯な戦いは無かったのではないでしょうか。

そして、これらを読むとアメリカ人はリメンバー・パールハーバーとは言いますが、それは汚いJAPに仕返しをというよりも、二度と本土を外国から攻撃されないためにみたいな意味で使っている場合も多いのかな?と思うのです。

残念ですが、この施設に行く予定はしばらくはありませんが、もしハワイに行かれることがあったら、この記念館にも足を運んで欲しいなと主ます。全部で4施設あるようですが、多分1日あれば充分に回れると思います。

僕も機会があったら是非一度この記念館に行ってみたいと思っています。

ちなみに、この話を昨日は東京と山梨出身の30代の女性2人にしていました。日本は真珠湾攻撃で悪いことをしたのだという思い込みは強いようです。ですが、とうのアメリカはそう思っていないのではないか、というとちょっと顔が明るくなるのです。

世の中には、戦前の日本人と今の我々は全く違う考えであると思っている人が多いのですが、戦前も今もほとんど同じような人間が同じような考え方で存在していました。当時も戦争はいやですし、人が死ぬのは皆さんいやだったのです。ですが、そこには守るべきものが厳然とあるり、当時の人には武力行使も一つの選択肢で有り、外交手段であったわけです。そこだけがちょっと違っていたぐらいしか差がないのではないでしょうか。