1987年の3月に多分始めて中国に行きました。
1年留年した大学2年生の春だったと思います。大阪から船で上海まで48時間の船旅でした。当時は、鑑真号という船が就航してまもなくで、乗船券は2万円だった記憶があります。
と思ったら、新鑑真号という船が未だに就航しているのですね。しかも今は学生が1.8万円です。安いな。。。
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そして、上海に2泊ぐらいして、個人的には杭州あたりを散策しながら南下という事を考えていましたが、友人の希望で一路北京を目指して鉄道で北上。
北京に2泊ほどして、桂林まで南下。上海=北京が17時間、北京=桂林が30時間という鉄道の旅だったと思います。
当時は、日中友好が叫ばれていました。そして印象は、本当に良かったですね。人々は貧しいながらもおおらかに暮らしていて、日本に大きなあこがれがあるようでした。いずれそうなりたいなみたいな感じでしょうかね。今のカンボジアあたりをウロウロしているよりももっとのんびりとした雰囲気でしたね。
どの中国人にも『おしん』の話題を振られたり、山口百恵は本当にキレイだと、全然関係の無い僕にそんな話をしてくれました。
当時の総書記は、趙紫陽。その後天安門事件を経て、江沢民政権という形になって、ご存じのようにドンドン経済的は発展を遂げて行きました。
当時の上海といえば、和平飯店が一流ホテルと認識されており、ろくなホテルがありませんでした。第一百貨店にはろくなものを売っていませんでしたね。街はすすけて汚かったです。
その後も仕事で中国に行くたびに、ドンドン中国は近代化して、新しくなっていきました。人心は荒廃していき、拝金主義が横行しています。もちろん今でもいい中国人は沢山いますが、自分のこと、家族の事を守ろうと思ったら、とにかくがめつく、シビアに生きていかないとやっていらないのが現状なのでしょう。
残念ですが心から信頼できる中国人は本当に少なくなってしまった気がします。
ですが、もし中国人首脳が、人民をすべからく裕福にする。突出した裕福は許さないという、共産党本来の機能を果たしていれば、今頃日本はほんとうにやられていたでしょうね。
というのよりも、経済規模がかなり違っていた可能性があります。
日本の経済構造は、本当に平等で、大衆社会になっています。住宅の商売をやっていると、普通の暮らしをしている人がポンと1千万円、2千万円の貯金をはたいて家を買うシーンを見かけます。1億2億は持っていないけれども、1千万円ぐらいはいつでも使えるという裕福な家庭は沢山あると思います。
つまり、その気になれば消費するための原資はあるのですね。
ところが、中国は違います。9割以上の人民にそんな余裕はありません。トップ1割以下の世帯には、年収ベースで数千万円ある家族が1億人居るとか、2億人居るとかという、まことしやかな話しは良く聞きますが、投資好きの彼らは、少々のお金は投資に突っ込んでいます。そして、それは2倍、3倍にすることを夢見ているのですね。
そのため、可処分所得は余り多くないようです。また、人口の半分以上は食うや食わずの生活をしています。それはなんとか3度の食事は出来るかもしれませんが、日本人のような文化的な生活は夢のまた夢です。
とすると、どうしても中国人民は、中国という国でまとまることは出来ません。超大金持ちと多数の貧乏人に完全に別れてちがう人種のように同じ場所で暮らしているからです。金持ちは貧乏人に必要以上に金を使われるのはいやだろうし、貧乏人は、金持ちがどんな生活をしているのか余り知りません。知ったら怒るだろうし、うすうす感じてはいても、自分がそうなれるという夢は持っていないと思います。
日本の場合は、国民が一体感を持っているので、九州で困難があると東京や大阪の人は、助けたいと思いますよね。なので、3・11の時はあれ程の寄附が集まったのです。中国では、どれだけの寄附が集まるのでしょうか。そしてそれは適正に使われるのでしょうか。
ということを考えるだけで、中国の国としての政策の失敗が読み取れますよね。
もし、中国の政治家が私腹を肥やすことなく、清廉で民のことを考える人々であれば、とっくに日本の国力は追い抜かれて、世界のあこがれが日本ではなく中国になっていたかもしれません。それに、尖閣は取られていたでしょうし。もしかすると沖縄もやられていたかもしれません。
人民解放軍で一番多いのは陸軍で、その理由は反乱を抑えるためというのも中国のこの宿痾のせいですね。
そのような意味では、日本は中国の政治家や人民の強欲に本当に助かったと思っているのです。