諦めることは、明(あき)らめること。
この話を2、3回連続して聴いたので、メモ書きがてら、頭の中を整理。
同音語は、似た性質があるのを感じているので、頭で納得したいときに役立つことが多い。
「明らめる」は、あきらかにすること、心を晴らすこと。
諦めること=執着を手放すこと、とも言われる。
諦という漢字は、言と帝という字が使われている。
言は言ったこと、言葉などの意味がある。
帝は天子、天の神という意味があるらしい。
ということは、諦=天の子(天の神)の言葉、という意味も含まれているのかも。
天の子といえば、わたしたちそのものでもある。天(宇宙)からやってきた子どもたち。
明という漢字は、日と月。
日は太陽でもある。太陽と月は陰陽でもある。対になっていて、二極でもある。
陰が極まると陽に転じ、陽が極まると陰に転じる。その両極が対等になっている状態が中庸なゼロポイント。
ゼロポイントは、自分自身の根源そのもの。
ふむふむ。
あ、天の子は、天の川銀河の子、でもあるのかも。
子は、生まれ出たもの、元から生じたもの。
なんだかいろんな重なりがみえてきた。
えーと、話の始まりは、諦めることは明らめること、だった。
わたしたち天の子(天の神)の言葉は、心を晴らす、自分自身の根源そのものでもある。
ということは、自分の根源=素直な飾らないありのままの言葉が心を晴らしていく。
結局、素の、純粋な頃のわたしたちを思い出して、その純粋なありのままの言葉でいると心地よくいられるってことかな。
まぁ、その通りですね
諦めて、最高のわたしを生きる
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