原因をさぐることと目的を思い出すこと。
何か起きたとき。ネガティブ感情(生存本能として生命を守るためにある)が出てきたとき。
なんでだろう?
なんでこの出来事が起きているんだろう?
なんで体の不調が出ているんだろう?
なんでこんなことを私に対して言ってくる・してくるのだろう?
ってよく思って、そのもととなっている事柄を「わたし」の内側から探し出すことが多かった。
「わたし」の中に存在する何かが、その現実を創り出しているから、その何かを変えれば良いという考え方。
何か悪いところがあって、そこを直す、変換するようなイメージ。陰を陽にひっくりかえすようなイメージ。自分の中のその何かを責める・攻めるイメージも少し出やすい感覚。粗探ししているような感覚もすこしあるかも。
目的を思い出すパターンは、原因を探るパターンと似ているようで、なんだか少し違う感じ。
なんのために?なにのために?
なにのためにこの出来事が起きているんだろう?
なんのために体の不調が起きているのだろう?
なにのためにこんなことを私に対して言ってくる・してくるのだろう?
何かの目的があって、その出来事を創造している「わたし」。その目的は一体なんなのか?
何かしらの「わたし」に対するメリットがあって、一見デメリットのような出来事を引き起こしたりしている。
「わたし」は本当はどうしたいのか?
原因を見つけて改善策を探し出すよりも、目的を思い出す場合は、もっとフラットな、建設的な感覚がある。
そして、目的からは「わたし」の本音が出てくる感覚。
その出てきた本音に対して、どんなものであれ、本音に共感していく。
そうしていくうちに、「わたし」の本当の音色が、どんどんとあふれ出していく、そんな感覚。