受け取ること。


受け取ることが、少し苦手だ。


なんでか分かんないけど、恐縮する感じ。


それは、自己肯定感が少なくなってたり、自分がどこか欠けている感覚だったり、満月のようにまんまるく満ちている状態を忘れているときなのかも。


満月とかの話はここ下矢印にて。



受け取ったら、なんか、返さないといけないんじゃないかっていう氣持ちが湧いてきて、少し居心地が悪いような感覚があったりする。


それでも、前に比べると、だいぶマシになった氣がする。



素直にうれしいと喜ぶこと、相手の好意を感じてありがたいな〜と感じること、相手が「わたし」に対してしてくれたことを嬉しく感じること。相手の氣持ちを感じる。



ありがとうって伝えられなくても、伝えなくても、良い。でも伝えたかったら伝える。


言葉は分かりやすいから、言葉で伝える。

口に出して言葉にできなかったら、文字に書いて伝える。

まなざしで伝える。

態度で伝える。

表情で伝える。

何かしらの行為で伝える。

嬉しい、ありがとう、などのエネルギーを発して伝える。


伝え方は色々あって、そのときどき、その人それぞれ、色んな伝え方があってよいのだ。



伝えることも、少し苦手意識がある「わたし」。

でも、色んな伝え方があるし、伝わってると思えば、伝わっている。案外、この世の中、大丈夫なのだ。思い込むチカラは、すごいチカラを発揮してくれたりする。スポーツ選手のイメトレとかと同じで、それは引き寄せの法則とも呼ばれたりもするやつだ。



どんなことも、現実化してくれてありがとう、と受け取る。



受け取ってみて、あれ?なんか違う、これやだな〜、と思ったら、別のオーダー(こういうのがよい、と詳細化していく)を出す。違うと感じるのは、詳細が描けてないか、オーダー間違いかも。


そうやって、「わたし」の理想に辿り着いていく。


失敗は成功のもとびっくりマーク飛び出すハート



どんな現実がやってきても、氣付きのためにやってきてくれてるんだなぁとなんとなく感じる。



日常の生活の中で、色んなことに氣を付けてよく感じてみる。たくさんの氣付きが、発見が、やってくる。



やってくるものは受け取ってみて、「わたし」の中で精査して、感じてみて、「わたし」なりの答えを出していく。



ただ、それだけなんだろうね。

その積み重ねが、「わたし」をカタチ作っていく。



受け取ることを、恐れる必要はないんだね。

どんなことも、大事なキラメキ。




みんなの愛のカタチは色んなカタチをしている。



あたたかな柔らかいカタチ。

トゲトゲして痛いカタチ。

パステルカラーの美味しそうなカタチ。

ビビットカラーのびっくりしちゃうような色彩の鮮やかな色したド派手なカタチ。



色んなカタチで、色んな人や現実の出来事からの愛のカタチが「わたし」の元にやってきては通り過ぎてゆく。



ときに「わたし」は愛されていることを感じたり、喜んだり、ときに悲しんだり、傷ついたり。



でも、どんなカタチがやってきても、それらはいつしか氣付きになって「わたし」に還元されていく。



色んな存在たちが、色んな次元で関わりあい、携わり合い、流れをつくっている。


その色んな存在たちが出している煌めきの波を感じながらプカプカ心地よく浮かんでいる「わたし」の映像が見えた。




「わたし」はたくさんの現実を受け取り、色んなことを感じ、氣付き、歩んでいく。



たくさんの現実は、「わたし」の内側の投影であることに氣付き、どんどん「わたし」が過ごしやすく、心地よい世界へと変わっていく。




受け取ってみて、「わたし」の中に氣付いたら、どうなってたらうれしいか、心地よいか、に変換していく。ただそれだけなんだ。



だから、どんなことも受け取ることは必要なんだね。受け取り拒否しても、置き配されてるかも。笑



不要なものはすべて手放して、宇宙の必要な場所に返還して、必要なものはすべて受け取り、氣付きに変えて、心地よい人生を歩む。




受け取ること。少し苦手意識が和らいだ感覚。