橋問題@鞆の浦 〜広島県福山市鞆町〜 | 旅するカメラ

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私が鞆の浦を知ったのはNHK大河ドラマ篤姫のラストに流れる「篤姫紀行」で鞆の浦が紹介されたのがきっかけ。
それから「いつか行ってみたいな~。」と思っていた所、福山市出身の友人から「鞆の浦に橋を架けると言う話が出ているから早めに行った方がいい。」と助言されたこともあり早々に出掛ける事になった次第。

実際に鞆の浦を訪れてみても「で、何処に橋を架けるんだろう?」とイマイチよく状況がまだ掴めていなかったのだが、町中に橋を架ける事を反対するポスターが貼ってあり、そのイメージ図を見て驚いた。

なんと、鞆の浦のシンボル的存在である常夜灯の先に橋が架かり、
車が湾の上を往来するというのだ。


このポスターを見ると橋を架けるなんてトンデモナイという風にしか考えられないんですけど。




しかも、江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃っているのは全国でも鞆の浦のみだが、このうち焚場の一部を破壊して橋を架けるというらしいのだ。うーむ、やっぱりそれって・・・。
今は「ポニョ効果」もあり観光客も多くなっているとかで、鞆の浦の経済の為にも橋を架けてせっかくの景観を台無しにしてしまうっていうのはどんなもんだろう?と、やはりよそ者の私なんかはそう思わずにはいられない。

更に今、鞆の浦を世界遺産に登録しようと言う動きがあるらしい。
確かに江戸時代の建物がかなりの数残っている鞆の浦はその価値があると思う。
その実現の為にもやはり橋を架けると言うのは・・・ねぇ。




と、ふと思った。
普通、そう思うよねって。
ましてや世界遺産に登録しようとするのなら町をあげて、いや、市をあげて応援するものではなかろうか?

なのに、実際には鞆の町に住む人の半分は橋を架ける事に賛成していると言う。
これは一体どういう事なんだろう??


と、不思議に思いながら観光マップに載っていた「珍しい二つ目の信号機」と言うものを見る為に
町の西の外れの方まで歩いて行く事にした。

途中から観光客の姿は無くなってしまった。
完全に普通の居住空間に突入したようだ。

と、その辺りから雰囲気が一転した。





昔の遺構が残る町の観光の中心地とは一転、
この辺りは橋を架ける事を推進しているようだ。

歩いて5分程でこんなに同じ町の住民の考えって変わるものなんだろうか??

と、少し不思議に思いながら歩いていると「二つ目信号」を発見。



そして、二つ目信号機と言うものを見てようやく理由が分かった様な気がした。





この信号機、車の離合の為のもの。
あまりにも道幅が狭い為、車がすれ違う事は不可能なのだ。
一定の場所で車が通り過ぎるのを待つ為の信号と言う訳。



ここはバスも通るらしのだが・・・確かに離合は不可能。

(よく見ると、赤信号で突っ走ってますがw)


町の西側に住む人達にとっては橋が架かると言う事は悲願なのかもしれない。
確かに朝の一分一秒を争う通勤時間帯にこれでは大渋滞は間違いないだろうし・・・。
とりあえず道幅が狭いから車がすれ違う時にぶつかりそうで事故も怖い。
(私は・・・運転したくないな、と思ってしまった。)

緊急車両が通れないというのも理由のひとつだそうだ。


うーむ。



そこに住む人にとっては「残したい景観」よりも「今の暮らし」の方が大切なのだろう。その気持ちも分かる。
でも・・・



橋を架ける事によって観光客も増え「橋」と言う新しい観光スポットが生まれると言う事もある。
(天草とかそうだったし。)

だけど・・・

鞆の浦はどうなんだろう?



日本人は古いものを大切にする事よりも新しさや利便性を重んじる傾向があるような気もするが、
一度壊してしまっては後から「しまった。」と思ってもなかなか復元するのは難しいものなのだ。
本当に壊してしまってもいいんだろうか・・・


と、やはり所詮、よそ者の私があーだこーだ言ってもしょうがないのだろうけど。

なんだか心配になってしまう。
どうなるんだろう?
一度訪れてしまうと気になってしまうな。

以上、最後はグダグダのまとまりの無い鞆の浦港埋立架橋問題レポートでした。