天空の城 〜大分県竹田市・岡城趾〜 | 旅するカメラ

旅するカメラ

旅と歴史、そしてカメラ。

「天空の城」と言えばラピュタ。
もしくは兵庫県にある「竹田城」が有名か・・・?

でも、大分県の山間にある豊後竹田市の「岡城趾」も間違いなく「天空の城」である。

岡城趾
(近戸門より阿蘇を望む)




福岡から高速道路で九重I.C.まで一時間程、そこから九酔渓や長者原、瀬の本高原など
一押しのドライブコースを抜け442号線を大分方面へ1時間程走ったところに豊後竹田市がある。
その静かな城下町の小高い山(天神山/標高325m)の上に築かれたのが「岡城」。
もともとは源義経を迎える為に1185年に築城したと伝えられている。

天正14年(1586年)からの豊薩戦争の際、島津義弘率いる3万の大軍薩が岡城を攻めたが落ちなかった。

これは島津軍に力が無いからではない。
この城が堅城過ぎるんだ・・・そう思わずにいられない城だった。



まず「総役所跡」だったという場所にある駐車場へ車を停め、登城開始。

まず目に飛び込んで来るのが「かまぼこ石」。

岡城趾

その名の通り「かまぼこ」の形をした石が石垣の上の部分に取り付けられている。
どうやら飾り・・・のようだ。


そして大手道を進むのだが、ここがとてもいい感じ。
上を見上げると隅櫓。
ここを通る敵はあの石垣の上からの横矢を受ける事となるのだ。
これはなかなか前には進めない・・・。
岡城趾


(この大手道上にある隅櫓から見るとこんな感じ。)
岡城趾


大手道を登って行くと大手門。
これがなかなか大きくて立派な門である。
岡城趾

どことなく・・・西洋の城門を彷彿とさせる大手門跡。
岡城趾




と、ここで普通の観光客の皆さんはそのまま道順に沿って本丸跡を目指すのだが
お城好きはどうしてもすんなりと本丸を目指す事が出来ない体質らしく
迷う事無く本丸とは反対方向に広がる『西の丸』へ。

岡城趾 西の丸
実はこの石段も遺構の一つ。
この上に広がる西の丸には御殿が造られたと言う。




そしてどんどん一般の観光客が絶対に足を踏み入れないと思われる城の奥の方へ。
が、ここがすごい。
なんでここを放ったらかしにしているのか、ちょっと不思議になる位。

岡城趾


岡城趾

断崖に沿って作られた石垣は曲線を描いており
なんとなく琉球の城を彷彿とさせる造り。
夏草が生い茂りその全容を見る事はできなかったが
夏草をちゃんと刈るとすごい石垣が登場しそうだ。見てみたい・・・


そしてその先には岡城の中で私が一番好きな「近戸門」付近。

岡城趾

岡城趾

なんだか本丸へ向かう時間が勿体ないと思えて来る程素敵な空間・・・。


その後本丸を目指すが道の折れ曲がり具合や、すごい石垣達にに阻まれてなかなか前に進めない・・・。
ついつい立ち止まって写真を撮ってしまうからだ。
現代に於いても堅城である。

岡城趾


そして三の丸。
ここの高石垣が岡城では一番有名。

岡城趾

ちょっと夏草が茂りすぎて石垣の全容がイマイチわからなかったけれど
完成された算木積みの隅石が美しい。
かなり急な斜面に組まれている石垣なのでやはり迫力がある。



そして、三の丸へ入る太鼓櫓付近から石垣が変わるのも面白い。
突如として出現する「切り込みハギ」の石垣。
かなり立派なものである。

岡城趾 太鼓櫓

※ちなみに「切り込みハギ」と言う石の積み方は、完全に加工した石材を隙間無く積み上げる技法の事。
 石を加工する技術が発達した江戸時代以降に見られる石垣の組み方である。



その先には二の丸、そして本丸が。

二の丸にはこの岡城を一躍有名にした「荒城の月」の作者である滝廉太郎像が建つ。
「荒城の月」は少年時代に登って遊んだ荒れ果てた岡城をモチーフに作ったといわれているのだ。

岡城趾 滝廉太郎像


今は整備も進んでいるが裏手の方はまだまだ発掘途中の箇所が多い。
近戸門から駐車場へ降りる「七曲がり」と呼ばれる折れた道にも
大手道と同じ様にかまばこ石が使われていた。
こちらは大手道とは違って観光客が通らない為に荒れ放題だった。
かまばこ石も途中途中無くなっていたし。
でも何故だろう。
この石の方が胸に沁みる。

岡城趾


なんとなく滝廉太郎の気持ちが分かった様なそんな「隠れた石垣達」だった。