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タイトルにはJPNとありますが、関東地方を中心とした観光地や廃墟、廃線の写真を公開します。

吹割の滝

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吹割の滝



昭和11年12月16日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、
高さ7m、幅30m余に及び、ごうごうと落下。
この滝は、凝灰岩、花崗岩の川床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟かい部分を浸蝕し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、“吹割の滝”の名が生まれた。


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吹割の滝.Part2

秩父セメント


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秩父セメント外観(上)


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秩父セメント(近)



道の駅秩父の後ろ側にある巨大なセメント工場の廃墟。
現在は解体され跡形も無いが、多くの廃墟マニアが足を踏み入れ数多くの写真が残っている。



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秩父セメント


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秩父セメント


因みに解体中だったので内部に入れなく外見だけ撮影しました
^^;

日窒鉱山


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雷電廿六木橋
日窒鉱山


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旧社員宅


鉱山自体は現在も稼動中だが、当時のように栄えていた面影が無い。
道を行けば多々の社員宅の廃墟が目立ち、様々な施設が廃墟と化している・・・

鉱山事務所の近くにある郵便局が現役でやっている。


この場所で残った人々はどうやって生活しているのか。



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信越本線

区間:横川~軽井沢

場所:群馬県碓氷郡



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1997年9月をもって廃止された同区間は碓氷峠と言われ、機関車を2両連結して押し上げなければならない鉄道の難所でした。
同10月から新幹線が開通して、この区間を挟んで信越本線は分断され、碓氷峠は廃線になりました。
ここには最後まで使われていた新線と、明治26年から昭和38年まで使われていた旧線が存在します。





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太田市藪塚石切場跡


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群馬県太田市藪塚にある薮塚石切場跡。
現在は使われていないがその堂々とした姿は現在でも残っている。



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入り口にある説明板には
「今から凡そ二千年前位に多くの火山活動によって堆積された軽石凝灰岩が地殻の変動で隆起し各地に露出したものが藪塚石となった。この薮塚石は明治の中頃から小規模に採掘をしていたが、明治三十六年より薮塚石材株式会社が創立され盛んになり始めた。質はやわらかく細工もしやすく、価格も安かったので建築物の土台や塀、熱に極めて強かったのでカマドとして発売された。大正二年に東武鉄道が敷設されると、販路も関東諸府県から長野県に至るまで藪塚石の名は広まった。当時労務者は三百五十人位であった。しかし藪塚石の最大の欠点は水に弱く、中に小石がある事、層に割れ目が多い事などで、同質の大谷石と比べ多くの人件費がかった。質に於てだんだん嫌われていった。そして、現在各所にこの様な大きな採掘跡を残して昭和三十年頃に閉山のやむなきに至ったのである。」



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