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タイトルにはJPNとありますが、関東地方を中心とした観光地や廃墟、廃線の写真を公開します。

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猿島

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猿島と船上



神奈川県横須賀にある陸から3Km程離れた島。猿島

◆ 猿島の由来
「猿島」の呼び名については、建長5年(1253)5月、日蓮が房州から鎌倉へ渡る途中に嵐に逢い、舟の進む方向さえもわからなくなってしまった。
そのとき、一匹の白猿がどこからともなく現れて舟の舳に立ち、この島へと案内したという伝説により「猿島」という名が付いたとされています。


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設備跡



◆ 猿島の由来と伝説
●昔の名は豊島
猿島は昔、豊島(十島)と呼ばれていました。即ち猿島、笠島、平島、黒島、裸島、三つ島、蛸貝島など全部で10の島になるので十島、当て字で縁起をかついで豊島です。豊島とは自然の恵みの豊かな島という意味もあったのでしょう。今は豊島小学校にその名が残るだけ。

●今は猿島
猿島は申島、去島とも書かれますが、鎌倉時代(1253年)のこと、日蓮上人が上総(今の千葉県中部)から鎌倉へ船出したところ、急に天候が悪化し、船は荒波にもまれ沈没寸前となりました。日蓮は舳に立ち、海の神様である龍に題目を唱えました。すると不思議なことに大きな龍が出現し、あたりは嘘のように静けさを取り戻したのです。日蓮は猿島に流れ着き、その時現れた白猿の導きによって今の米ケ浜に無事上陸出来たと言われます。この伝説に因んで猿島と名づけられたようです。

●日蓮上人上陸の地
建長5年4月、日蓮は房州有無谷から船に乗り、鎌倉に渡る途中シケにあい猿島の遠浅の磯辺で船底に穴があき、沈没寸前の状態になった。日蓮は冷静に水面を見つめ「南無妙法蓮華経」と一心不乱に祈ったところ、アワビが船底の穴をふさぎ事なきを得たといわれている。

●角無しサザエ
日蓮上人は、白猿に案内されて猿島から舟に乗り、米ケ浜の海岸に上陸しようとしたが、着岸できないため、船頭が上人を背負って上陸した。砂の上に上がるとサザエを踏んだ船頭の足が鮮血にまみれていた。上人が妙経を唱えたところ船頭の出血が止まり、近海のサザエの角が無くなったと言われる。

●猿島春日神社の大蛇
現三春町の春日神社は、明治17年までは猿島にあった。村民たちは7月下旬に大祭を行っていたが、その前後には毎夜のように上総の鹿野山から猿島へ、大蛇が泳いできたと言う。この大蛇は春日神社の守護神で、島へ来た時は北側の洞窟に住んでいた。なおこの洞窟は江ノ島の岩屋まで続いていると言われている。
使われなくなった物

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川沿いの廃屋


2010.08.15(Sun)
秩父市の川沿いにある廃屋に訪ねました。
周りは整備されてなく、草がただ生えている場所。
そんな中に立っている多くの物件。



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川沿いの廃屋


写真を撮っていると画面にある文章が、

「メモリーが不足しています。」

いきなりかよ!!Σ(=°ω°=;ノ)ノ

まぁそんなわけでこの四枚。



□埼玉県の記事□
西武安比奈線
ニッチツ鉱山
秩父セメント
空いた空間
秩父鉱業専用線


空いた空間

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廃パチンコ店


埼玉県の県北。
国道17号を走っていると廃墟郡にであった。
HOTEL、パチンコ店など多くの施設が廃墟になっている。

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空いた空間

廃業して時間が経ち、管理者はいるのだが放置された空間。
その空間は、場所と入る人によって意味が異なる。
このブログに掲載してある秩父セメントの場合は荒らされず、ペイントもされず多くの廃墟好きに愛された。
現在は無いが神奈川県の恵心病院という場所があった。
そこは廃病院であるために、夏になると肝試しの有名スポットであったため、その空間自体が汚くされた。


□埼玉県の記事□
西武安比奈線
ニッチツ鉱山
秩父セメント


西武安比奈線

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南大塚駅
休止線



埼玉県川越市、南大塚駅から同市内の入間川沿いの安比奈駅へと至る西武鉄道の貨物線。
1967年から長い間休止とされておりあくまで「休止」

昨年にNHK連続テレビ小説の舞台に使われ一部整備されている。


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休止線



入間川の砂利を42年間運搬してきた、砂利の採取が禁止になり休止。
所々は朽ち果てて、線が遮断し、花壇となり、再び稼動する事は無いように見える。
多くの廃線マニアは一度は見ておきたい聖地とも言える場所らしい。
どんな形でも今も愛せれているのだろうか、もしそうであるなら存在理由が彼にあるだろう。



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橋梁



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西武安比奈線


□埼玉県の記事□
ニッチツ鉱山
秩父セメント