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『旅遊のすすめ』~団長のブログ~

自分なりに気ままにチベットと向き合っています。
上海の田子坊でChagamo Craft という雑貨屋をやっていました。
目黒区自由が丘にチベット仏教美術・諸国民芸雑貨のお店を始めます。http://chagamocraft.ocnk.net/

今から200年ほど前、この地にフランス人宣教師がやってきたという。

そして、僕の目の前に建つ、この教会は100年前に再建されたもの。




ここはチベット人の村。 

人々は東チベット(カム・デチュン地方)のさらに地元特有の訛りの強いチベット語を話す。様々な少数民族の暮らす雲南の地にあり東チベットへと続く街道から、橋を渡りしばらく進むとあらわれる集落。



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 わずか数十戸の村に一つだけある宿はチベット人の老姉妹が営む。
姉はキリスト教徒で妹はチベット仏教徒。 
着ている服も、身に着けている装飾品も異なるがとても仲の良い老姉妹。
 この宿の屋上から真南に、村のシンボルである立派な天主堂(教会)がそびえる。
季節は3月後半の春先、周囲に広がる一面の菜の花畑は、チベットの高原を思い出させ、桜や梅、梨の花が一斉に咲く風景は雲南の桃源郷に来たことを実感させられる。

 200年前にここを訪れたという宣教師は、布教をすると共にこの地に葡萄の栽培とワインの製造技術を伝えた。

雲南のシャングリラワインとして知られる葡萄酒の発祥地である。

 椎名誠氏の小説『中国の鳥人』に出てきそうな世界だ。もしかしたら、氏もこの風景を見て『中国の鳥人』という作品が生まれたのかもしれない。



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 現在、この村の対岸を走る街道は、車の幹線道路を作るために大規模な工事が行われている。 その影響により、現時点でこの街道は一日を通して通行止めになる時間帯が非常に多く、必要最低限の交通量しかない。 
ここを通る路線バスの本数も一日数台に限られているし、乗り合いのワゴン車や旅行者向けのチャーター車などは通っていない。



 ここに暮らす人たちにとって、幹線道路の完成はとても待ち遠しい事なのかもしれない、でも僕たち個人の旅行者から見ると、この道路が開通した暁には現在の麗江やシャングリラ(中旬)のように、多くの訪問客とお金と概念がもたらされるのだろうと残念な気持ちにならざるを得ない。
自分たち本位のエゴな考えであるには代わりないが、せめてその土地の文化や民俗、風習に傾倒して、礼儀と節度のある訪問を望みたい。
そういえば、徳欽からシャングリラへの道中、湖の北側にとても大きなスキー場が建設されていた。
標高3000mの世界で、スキー場を作るとは何とも大胆な発想である。
理想郷を訪れた彼らと同じ国籍のマジョリティーたちは、何を見て感じ、新たな産物を生み出すのだろう。 




天主堂を訪れる前に、同じ街道から山道を登ったところにある集落をいくつか廻ってみた。

そのうちの一つに、300年程前に建てられたチベット仏教のお寺があった。

山道歩きにげんなりしていたら、タイミングよく車が一台通りがかりヒッチハイクして乗せてもらったのが、ここのお寺のラマ(偉い坊さん)だったのでいろいろ話を伺うことが出来た。 30人ほどの僧侶が暮らす、この僧院には珍しいことに尼僧も数名いて、聞いたところによると以前はさらに山奥に尼寺もあったそうだが、多くの尼僧さんは亡命したり、麗江のお寺に行ったという。

活仏も二人おられるという、このお寺の本堂は持金剛仏(ウンカラ)と二十一ターラ像で圧巻だったし、何よりもお堂に描かれた290年前の壁画が歴史を感じさせてくれた。

長居をしていたら、心配されたのか、この国の当局の方々が下町から4人も乗り込んでこられ、僕は有無を言わさず彼らの車に乗せられ、街道沿いの隣の村の宿に(その前に派出所に)連れていかれた。 

翌日の行動もしっかり管理されてしまったので、苦肉の策で『仏教がだめならキリスト教でどうだ。』と思いその天主堂に向かった。

結果、最終的にはその先の徳欽というチベット人の町に着くまで監視されたのだが。。

そんな経緯もあり、徳欽のすぐ先にはヒマラヤの塩田で有名なツァカロという魅力的な村があるのだけれど、現時点で僕たち外国人の個人旅行者が入域するのは禁止されており、一昔前の罰金と交渉で済むような雰囲気とは異なり、ここから先はまたの機会に訪れようと心に誓った。 




 それはそうと、徳欽(ドチン)の馬具屋で鉄製の馬蹄を買った。 

今でもチベット本土では車やバイクと共に、馬やロバが人々の足として活躍している。遊牧や日々の生活の足として、また交易の足としてである。

一方で観光客が訪れる麗江旧市街地などに行くと、正装したチベット系ナシ族の人たちが立派な馬に乗って朝から夜までたむろしている。 観光客たちからの写真の被写体となることによって日々の小銭を稼いでいるのだ。




 チベットやモンゴルといったノマドの民にしてみれば、どこかに定住することを求められることは基本的に迷惑なのかもしれない。 

彼らにとって自分たちの住んでいる地域を、ある日突然線引きされ、証明書類や通行証が無いと入れなくなってしまう状況はとても窮屈だろうなと思う。




なにはともあれ、雲南の観光地で写真の被写体に甘んじている立派な馬たちが馬蹄をつけて、かつての茶馬古道を再び歩ける日を待ち望みたい。



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ブログランキング時々参加中。(チベット旅行というカテゴリー、何度か申請しましたがいまだ作られず。。)

写真は内蒙古で発掘された、戦国時代(紀元前2~5世紀頃)の青銅製のオブジェ。


長角鹿と臥鹿ですね。




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以下、たいした話ではなく、ただの独り言。




僕は縁あって5年程前から、日本の東北地方に伝わる鹿踊り(もしくは獅子躍)という郷土芸能に携わっています。


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それ以来、自然と鹿に親近感を覚え、贔屓しています。


そして出来る限り、鹿肉は食べないようにしようと(個人的に)決めました。


馬好きの人が馬肉を食べないのとか、日本人が犬肉を食べる気にならないのと同じ感覚です。




狩猟民族、縄文人の末裔である我々日本人にも、森のシシ神の使いである鹿(カノシシ)と食の対象となる猪(イノシシ)を区別してきた歴史があります。


四肢(シシ)の動物のどこをどう区切って、信仰の対象となったり、食の対象となったのかは分かりませんが、とりあえず鹿(カノシシ)の代名詞である鹿(シカ)は神の使いとなり信仰の対象となったわけです。


それが神獣である唐獅子と融合して鹿踊り(獅子躍り)という芸能にもつながったのでしょう。




この内蒙古で発掘された、長角鹿のオブジェを見ても、これが当時食の対象となっていたとは感じ取れないですし、信仰の対象だったと言われる方がぐっときます。  




そんなことを、広東料理の蛙の唐揚げを食べながら、ふと思いました。






そして最近、初対面のチベット人から『お前は内モンゴル人か?』とかなりの確率で言われます。


でも、しばらく話し込んでると『お前は本当はチベット人だろ?』とよく言われます。。。















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