同国東部ドンバス地方の中心都市=ドネツクで開催された国際現代音楽祭で
オーケストラを指揮した経験は、今なお私の脳裏に鮮明に刻まれています。
私の訪問の暫く後に、突如としてロシアによるウクライナへの介入が始まり、
クリミア半島やドネツク等を中心として情勢が渾沌としたまま、
その後もズルズル時が経過してきてしまいました。
そして遂にこのところの各種報道の通り、ロシアの侵攻が本格化して、
まるで人類史の時計が100年程逆回りして、
帝国主義の時代に戻ってしまったような状況になってしまいました。
いったいあの美しく豊かな風土に恵まれた国は、
どこまで分裂してしまうのでしょうか。
如何なる理由があるにせよ、一般市民の人権や生活権、国家の主権は、
軍事力で虐げられてはならないと思います。
ウクライナの平和を希求しつつ、
2013年の私のウクライナ訪問記を再掲載して、
在りし日の美しいドネツクの街・人々・文化を振り返りたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、2013年5月にウクライナの大都市のひとつ、
ドネツクの現代音楽祭に指揮者として招聘され、
得難い国際交流の経験をする機会を得ました。
その時は、平穏で平和なウクライナでした。
一般市民の犠牲者が出るような悲惨な事態にならずに、
平和な解決・帰結を迎えられるよう、願ってやみません。
深夜の記事シリーズとして、ウクライナの平和を願って、
2013年の想い出の記事を再掲載しています。
*****2013年6月7日の記事*****
「ウクライナ演奏旅行体験記」の記事を連日のようにアップ
してきましたが、いよいよ最終コーナーになってきました。
5月17日夜、私が指揮をしたファイナル・コンサートが
爆発的な拍手喝采と伴に終演となりました。

終演直後の私は、汗をびっしょりとかいて、
燕尾服の中は蒸し風呂のような具合で、
楽屋で着替えてしばらくしても身体がほてり続けていました。
ミネラルウォーター1本を一気に飲んでも、
まだ喉の渇きが収まらないほどでした。
まるでタイトルマッチ直後のボクサーのように、
虚脱状態と興奮状態が渾然一体となった感じでした。
独奏者諸氏の満足そうな笑顔、
オーケストラのメンバーの笑顔が、
私の瞼の奥と心に滲みました。
大変なリハーサル・セッションを重ねましたが、
その甲斐があったというものでした。
音楽祭ダイレクター=ペトリチェンコ氏自ら車を運転して、
ホテルに荷物を置きに立ち寄った後、レセプションを兼ねた
夕食会の会場まで同行してくださいました。
まだ血流が胃腸に回っていないようで、
暫くは食べ物があまり喉を通りませんでしたが、
ビールやウォッカを飲みながら、少しずつ食欲が回復してきて、
音楽祭関係者や他の作曲家や演奏家との語らいの時を楽しみました。
多くの方々から指揮と作品の両面にわたり賛辞の言葉をいただき、
今回の大役をなんとか無事に遂行することができた、
安堵感と歓びが沸々と込み上げてきました。
会食の途中、ギタリストのMagnus Anderssion氏が、
「このような壮大なプログラムを考え、
スウェーデンの演奏家から日本の作曲家・指揮者まで
巻き込んだ凄い企画を実現に導いた
“クレイジーな” Vadimに感謝したい!」という内容を
スピーチして、一応はどっと沸きました。
私も全く同感でした。
翌朝にはもうドネツクから日本に旅立たなければ
ならないという一抹の寂しさも感じながら、
夕食会の会場を後にして、
綺麗な街並みの中を歩いてホテルに戻ったところ、
ロビーにはまだ音楽祭関係者が多数たむろしていたので、
やがて和やかな記念撮影に和ができてきました。
ハイ、ポース! 先ず私がシャッターを切りました。

続いて私も入って、ハイ、ポーズ!

全力を尽くした心地よい疲れの中で、
スーツケースのパッキングを粗方済ませてから、
眠りにつきました。