史上最大のシンフォニストの最後の交響曲=ショスタコーヴィチ/交響曲第15番 | 松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~

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クラシック音楽界最大のジンクス、
「ベートーヴェン以降のシンフォニストは、
交響曲を第9番までしか書けない。」
という大きな大きな壁を颯爽と乗り越えて
二桁台番号交響曲を書き上げて行ったショスタコーヴィチも、
この第15番が最後になりました。

これは私的な見解ですが、交響曲らしい交響曲は、
全15曲の中の11曲と考えられます。
第2番と第3番はソヴィエト体制を讃美する
単一楽章交響詩ですし、第13番と第14番は
オラトリオやオーケストラ伴奏歌曲集のような
様相を呈している作品と捉えることができます。

また、偶然の結果だとは思いますが、
第7番と第8番を中心としてほぼシンメトリーに、
曲の規模や楽章構成といった特徴が
前後対称に並んでいることに気付かされます。
オーソドックスな4楽章構成の第1番と第15番、
交響曲らしくない性格が強い第2/3番と第13/14番、
問題作であり大作である第4番と第11/12番、
代表作の風格を持つ第5番と第10番、
意表を突いて小振りな第6番と第9番、
中心にそびえる第7番と第8番、
という訳です。

前置きが長くなりました。
ショスタコーヴィチ最後の交響曲を探訪していきましょう。

1971年の完成ですから、あの大阪万博の後の作品になります。
当時は、西欧では前衛の急進が一段落して、
世界文化相対主義的な潮流への転換期にあたる時代でした。
しかし、鉄のカーテンの向う側、
ソヴィエト体制下にあっては、自由な創作などままならず、
巧妙に作品にメッセージを忍ばせながら、
また時には体制讃美作品も書きながら、
孤高のシンフォニストを貫いたのでした。

しかし、それにしても、この最後の交響曲は謎めいています。
外観はオーソドックスな4楽章構成ですが、
随所にロッシーニの「ウィリアムテル」や
ワーグナーの「ワルキューレ」などが引用されていて、
何か意味深長なメッセージが隠されているように感じられます。

###交響曲第15番 イ長調 作品141###

[第1楽章]
ソナタ形式に基づく冒頭楽章です。
展開部の終盤に突然「ウィリアムテル」が
執拗に強調される場面には、
初めて聴いた時にはとても驚かされました。

[第2楽章]
ショスタコーヴィチ独特の沈鬱な緩徐緩徐です。
自作交響曲の最後を自覚していたかのような、
葬送行進曲のようにも聴こえてきます。

[第3楽章]
前楽章からアタッカで続きます。
ショスタコーヴィチが得意としたスケルツォで、
老いてなお闊達な楽想で面目躍如といった観があります。
十二音技法を限定的に応用しているあたりに、
この作曲家の後半生に垣間見得る密かな拘りも見て取れます。

[第4楽章]
「ワルキューレ」からの引用が印象的な緩徐調序奏部を経て、
パッサカリアによる連続変奏に乗せた
厳粛な発展による主要部となり、
やがて様々な主題や要素が回想(再現)された後、
謎を残したまま全曲を閉じます。


CD:ショスタコーヴィチ/交響曲第1番&15番
   ウラディーミル・フェドセーエフ指揮
   モスクワ放送交響楽団
   Pony Canyon / POCL-00351
ショスタコーヴィチ交響曲第1&15番

仕事場のライヴラリーにはこCDがあります。
生演奏にも3回程接していますが、
聴く度に苦虫を噛み潰したような、そしてまた一抹の寂寥感が
心を駆け抜ける想いがします。

偉大なるシンフォニストであり、
ソヴィエト体制の社会主義リアリズム下を逞しく生き抜いた
孤高の作曲家=ショスタコーヴィチに献杯!

純米酒で乾杯!