通奏4楽章による歴史モニュメント〜ショスタコーヴィチ/交響曲第11番「1905年」 | 松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~

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ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ
(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich / 1906-1975)の
交響曲(全15曲)の探訪を先々週からアップしています。

<交響曲第1番>(1926)が大評判となって、
国際音楽界に衝撃的なデビューを果たした
ショスタコーヴィチは、1927年には、
前衛的な気概にも満ちた単一楽章構成による
<交響曲第2番「十月革命に捧げる」>を作曲し、
1929年にはより祝祭色の強い<交響曲第3番「メーデー」>を発表しました。
ソヴィエト連邦建設の推進を賛美する作品を
書かざるを得ない事情が、きっとあったことでしょう。

ところがその後、スターリン体制になると、
芸術界の前衛的な試みは弾圧されるようになり、
1936年には共産党機関誌"プラウダ"で批判を受け、
ショスタコーヴィチはソヴィエト社会で窮地に追い込まれました。
折から初演の準備を進めていた<交響曲第4番>の初演を撤回して、
1937年に作曲した<交響曲第5番>で何とか名誉を回復しました。

その<第5番>は、社会主義リアリズムに迎合した作品として
長らく語られてきましたが、作曲家の死後に公表された
様々な証言資料等が明るみになるに従って、
体制批判のメッセージを巧妙に仕込んだ作品であることが
知られるようになってきました。

1939年に書かれた<第6番>はやや変則的な3楽章構成でしたが、
次の<第7番「レニングラード」>(1941年)では
オーソドックスな4楽章構成に立ち戻り、
しかも空前の規模を誇る大作になりました。
続く<第8番>(1943年)は5楽章構成による
沈痛なまでに厳粛な作品です。
その<第8番>をミニチュアにしたような<第9番>を(1945年)発表して、
内外の音楽ファンの意表を突いたショスタコーヴィチは、
その意外性がソヴィエト当局の不評を買い、
"ジダーノフ批判"の対象にされてしまいました。

その後しばらく交響曲の分野では沈黙を
守らなければならなかったショスタコーヴィチは、
1953年に<第10番>を発表しました。
オーソドックスで堂々たる4楽章構成に戻りました。
輝かしいフィナーレで終わるという観点も含めて、
今日では<第1番><第5番><第7番>と並ぶ
人気のレパートリーになっています。

<第7番>から<第10番>までを、
第2次世界大戦との関連と作品の性格の両面から、
"戦争シリーズ"と捉えることもできます。

さて、ベートーヴェン以降の作曲家が超えられなかった、
交響曲分野で"第10番"を完成するという偉業を
若くして成し遂げたショスタコーヴィチは、
更に交響曲を書き重ねていきました。
この<第11番>は、第2次世界大戦から離れて、
1905年の「血の日曜日」、末期のロマノフ王朝時代に、
請願の行進に終結した無防備な一般市民に軍隊が発砲して
多数の犠牲者を出した事件を題材にしています。

一方で、作曲当時に起きた「ハンガリー動乱」との関連も指摘されています。
表向きは「血の日曜日」を題材としたプロバガンダ的作品、
しかし光明に隠されたメッセージとしては、
ハンガリー動乱への痛切な批判、とも考えられる作品です。

日本では、1992年に北原幸男氏がNHK交響楽団の
定期演奏会でこの曲を取り上げ、大評判となる演奏となり、
俄に注目されるレパートリーとなりました。
その演奏は後にCD化され、私のライブラリーにも所蔵されています。

CD:ショスタコーヴィチ/交響曲第11番「1905年」
   北原幸男指揮/NHK交響楽団
   東芝EMI / Exciting Concert Live Series
   TOCZ-9201
北原幸男盤

###<交響曲第11番 ト短調 『1905年』作品103>###

緩・急・緩・急の全4楽章が切れ目無く演奏されます。
バルトークの<弦・打・チェレスタの為の音楽>等に見られるように、
バロック時代の教会ソナタを想起させる速度設定でもあります。

[第1楽章]「宮殿前広場」
帝政ロシアの圧政の重圧を思わせる、重苦しい緩徐楽章です。
他の楽章も含めて、全曲にわたって
革命歌の旋律がいくつも引用されているということです。

[第2楽章]「1月9日」
民衆の請願行進は始り、行進曲調に音楽が前進していきます。
しかし紅潮した先に待っているのは不吉なトランペットの信号で、
皇帝軍の一斉射撃による民衆大虐殺が繰り広げられます。
やがて静寂が残り、弦楽器とチェレスタの寂寥感が、
民衆の死を象徴します。

[第3楽章]「永遠の記憶」
犠牲者への鎮魂歌(レクイエム)とでも言うべき、
沈欝な音楽が連綿と流れます。
複合三部形式と捉える場合の中間部では、
犠牲者の死を乗り越えて更に立ち上がるような、
或いは復讐を期するような、力強さが沸き起こりますが、
やがてまたレクイエムの雰囲気に静まっていきます。

[第4楽章]「警鐘」
ロンド形式を応用したフィナーレです。
様々な革命歌を引用しつつ、民衆の不屈の精神を象徴するような
壮烈なクライマックスに到達します。
更に、コールアングレによる哀愁漂う旋律が聴かれた後、
最後はチューブラベルの乱打が帝政ロシア(ロマノフ王朝)への
警鐘を象徴して全曲を閉じます。

約60~70分も通奏される壮大な音楽です。
ソナタ形式を明確に聴き取れる楽章が一つも無い、
珍しいタイプの交響曲で、表題交響曲でありながら
かなり難解でもあります。

YouTube / Shostakovich Symphony No.11 in G minor op.103
1. Palace Square. Adagio 00:00
2. Ninth of January. Allegro -- Adagio 15:23
3. Eternal Memory. Adagio 33:45
4. Alarm. Allegro non troppo - Adagio -- Allegro 46:00
Semyon Bychkov
Berliner Philharmoniker


1905年は、日露戦争(1904年~1905年)に重なります。
実は、正面全面戦争の長期化では決した勝ち目が無かった日本は、
当時の政府と軍部の周到な計画と行動によって、
ロマノフ王朝の国内の革命による崩壊を幇助すべく
諜報活動や地下支援活動も行なっていました。
この交響曲のテーマ表題は、
日本の歴史にも密接に関連した題材と見ることもできるのです。