ウクライナに平和を!:音楽祭第2夜は作曲家作品展〜「ウクライナ演奏旅行体験記」その6 | 松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~

松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~

創造芸術は人間の根源的な表現欲求と知的好奇心の発露の最も崇高な形。音楽家・作曲家を目指す貴方、自分の信じる道(未知)を進んでいきましょう。芸術・音楽・文化と共に人生と社会を豊かにしていきましょう。~頑張れ日本!〜がんばろうニッポン!

2013年5月に私が始めてウクライナを訪ねる機会に恵まれて、
同国東部ドンバス地方の中心都市=ドネツクで開催された国際現代音楽祭で
オーケストラを指揮した経験は、今なお私の脳裏に鮮明に刻まれています。

私の訪問の暫く後に、突如としてロシアによるウクライナへの介入が始まり、
クリミア半島やドネツク等を中心として情勢が渾沌としたまま、
その後もズルズル時が経過してきてしまいました。
そして遂にこのところの各種報道の通り、ロシアの侵攻が本格化して、
まるで人類史の時計が100年程逆回りして、
帝国主義の時代に戻ってしまったような状況になってしまいました。
いったいあの美しく豊かな風土に恵まれた国は、
どこまで分裂してしまうのでしょうか。

如何なる理由があるにせよ、一般市民の人権や生活権、国家の主権は、
軍事力で虐げられてはならないと思います。
ウクライナの平和を希求しつつ、
2013年の私のウクライナ訪問記を再掲載して、
在りし日の美しいドネツクの街・人々・文化を振り返りたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、2013年5月にウクライナの大都市のひとつ、
ドネツクの現代音楽祭に指揮者として招聘され、
得難い国際交流の経験をする機会を得ました。
その時は、平穏で平和なウクライナでした。

一般市民の犠牲者が出るような悲惨な事態にならずに、
平和な解決・帰結を迎えられるよう、願ってやみません。

深夜の記事シリーズとして、ウクライナの平和を願って、
2013年の想い出の記事を再掲載しています。

*****2013年5月30日の記事*****

ハードなリハーサルの一回目のセッションが終わり、
遅い昼食をとってウクライナの美味しいビールを一杯飲んで、
一旦ホテルに戻って仮眠をとってから、
音楽祭第2夜のコンサートへ向かいました。

緯度が樺太並に高いウクライナで、
しかもサマータイム中ですから、陽は長いのです。
17時位に一般のオフィスは終業するらしく、
演奏会の開演時刻は概ね18時という設定です。

この日の会場は、フィルハーモニー協会から2ブロック程
離れた所に在るオペラハウスでした。
歩く道すがらの風景を楽しみながら、会場で向かいました。

$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-ドネツクの町並み1
$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-ドネツクの町並み2
$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-ドネツクの町並み3
$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-立派な建物の公共施設
$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-ドネツクの町並み4


ホテルから約10分歩くと、
目指すオペラハウスが見えてきました。
正式名称は、ドネツク州立アカデミー歌劇場&バレエ劇場
(A. Solovyanenko劇場)というそうです。
$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-オペラハウスの外観


この夜の演奏会には、
他の都市のオーケストラの協力出演を得て、
ウクライナの作曲家を主体として地元関係の作曲家の
管弦楽曲発表演奏会といった趣でした。
詳しいプログラムは、公式HPをご覧ください。
トップ頁=http://dmma.dn.ua/
カレンダー頁=http://dmma.dn.ua/index.php?option=com_content&view=article&id=5&Itemid=10&lang=en

$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-5/14演奏会プログラム


演奏されたそれぞれの管弦楽作品は、
(拡張された)調性手法を取り入れた作品がほとんどで、
一部に現代作曲技法を取り入れるという傾向が、
お国ぶりとして総体的に感じられました。
重量級の交響曲から、ピアノ協奏曲、フルート協奏曲、
アコーディオン協奏曲、管弦楽伴奏歌曲、等々、
全6作品によるバラエティーに富んだプログラムでした。

$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-第2夜公演のステージ

さて、この第2夜の演奏会の後、
音楽祭関係者の公式ディナーにお誘いいただいたのですが、
そのレストランに向かうためにチャーターされていたバスが、
いやはや何とも凄い車両でした。
次回の記事のお楽しみです!