イギリスは、長らくヨーロッパ社会を牽引する
大国の地位を築いてきましたが、不思議なことに
国際的な名声を博する作曲家が登場しないという
ジンクスを抱えてもいました。

そのようなイギリスの待望の“おらが国の交響曲”が、
エルガーの登場によって遂に実現したのです。
では、サー・エドワード・エルガー(1857-1934)
の交響曲の紹介をしていきましょう。

交響曲第1番は、1908年にマンチェスターで初演されました。
ハンス・リヒター指揮/ハレ管弦楽団の演奏でした。
遂に誕生したイギリス人にとっての“おらが国の交響曲”の誕生に、
聴衆は熱狂して、初演から一年間で100回あまりも
再演が重ねられたそうです。

第1楽章は、いかにもイギリスといた感興を醸し出す、
悠然としたしかもノーブルな序奏主題(全曲のモットー)から
開始した後、テンポを上げてソナタ形式主部に入ります。
提示部が終わると序奏主題が一瞬顔をのぞかせて、
展開部に移行していきます。
展開はひとしきり盛り上がった後、再び序奏主題が仄かに登場して、
やがてかなり変容した再現部に突入します。
そして再現部を締めくくると更に序奏主題が登場して、
楽章を閉じるコーダ(終結部)を印象づけます。

第2楽章と第3楽章は続けて演奏されます。
第2楽章は通常のスケルツォとなやや異なる印象ですが、
所謂舞曲楽章に相当する楽章と考えられます。
無窮動な導入に始まり行進曲調の勇壮な楽想も登場する、
ピリリとパンチの利いた中間楽章です。

第3楽章は緩徐楽章に相当します。
前半部の主題は第2楽章の主題と実は同じ音型によるもので、
エルガーが中間楽章の相互関連を強く意識して作曲したが故に、
両楽章を続けて演奏するように指示したことが解ります。
後半の主題は、第1楽章の序奏主題に
共通する楽想を持っています。

第4楽章は、冒頭楽章に続いて
序奏を伴うソナタ形式に基づいて構成されています。
その序奏では第1楽章の序奏主題も敷延され、
ベートーヴェン以来の全曲の有機的な統一を、
エルガーも図ろうとしたことが良く解ります。
ソナタ形式による主部が終楽章らしい前進的な音楽を奏でた後、
全曲を締めくくるコーダ(終結部)に進んでいきます。
第一楽章の序奏主題(つまりは全曲のモットー)が
高らかに奏されて、全曲を閉じます。

この交響曲の成功によって、エルガーの作曲家としての
名声は決定的になったと言えるでしょう。
ドイツやフランスではさっぱり演奏されないようですが、
本国=イギリスやアメリカではしばしば演奏されています。
日本では、指揮者=尾高忠明氏が、
イギリス(ウェールズ)はカーディフの
BBCナショナル・オーケストラ・オブ・ウェールズ
の首席指揮者に就任して以降、日本にイギリスの交響曲
(特にエルガーとウォルトン)を
精力的に紹介するようになって、
クラシック音楽ファンに浸透するようになりました。

写真は、そのマエストロ尾高&BBCウェールズ
の組み合わせによるこの曲のCDの写真です。

$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-エルガー/交響曲第1番

尾高忠明指揮/BBCナショナル・オーケストラ・オブ・ウェールズ
BIS / CD-727
エルガー/交響曲第1番
序奏とアレグロ(弦楽四重奏と弦楽合奏のための)