昨日の記事、シューベルト/交響曲第7番(第8番)
「未完成」に続いて、第8番(第9番)「ザ・グレイト」
についての私見を述べたいと思います。

フランツ・ペーター・シューベルトは、
1797年生まれで1828年没のオーストリアの作曲家です。
歌曲やピアノ曲の分野に特に名作を多く残していますが、
交響曲の作曲家(シンフォニスト)としても
実は重要な地位を占めていると、私は考えています。

幾つかある未完に終わった交響曲にも言及すると
少々話が複雑になってしまうので、
今日番号付で称されている作品について、
私なりの考察を述べていきましょう。

#番号は国際シューベルト協会の現在の見解です#

交響曲第1番 ニ長調 D-82 / 1813年
交響曲第2番 変ロ長調 D-125 / 1814-15年
交響曲第3番 ニ長調 D-200 / 1815年
交響曲第4番 ハ短調「悲劇的」 D-417 / 1816年
交響曲第5番 変ロ長調 D-485 / 1816年
交響曲第6番 ハ長調 D-589 / 1816年 (小ハ長調)

交響曲第7番 ロ短調 D-759 / 1822年
交響曲第8番 ハ長調 D-944 / 1825-26年
           「ザ・グレイト」(大ハ長調)

第6番までの時間的また物理的な規模は、
ハイドンやモーツァルトの交響曲に近く、
今日ではあまり演奏されなくなっています。
それでも、ヨーロッパの地方都市の
小規模オーケストラでは、第4番~第6番辺りは
かなりプログラムに載ってくるようです。

1813年から16年にかけて立て続けに
交響曲を発表したシューベルトは、
言わば交響曲の習作期を経た後に熟考期に入ったのか、
未完のスケッチは残しているものの、
暫く交響曲を完成させなくなります。
そして1822年に2楽章まで完成した作品が、
(結局は埋もれてしまって死後かなりの後に
発見されて初演されることになるのですが、)
今日「未完成」の愛称で有名な第7番
(嘗ては第8番が一般的)です。

第6番までの交響曲を聴いてからこの第7番を聴くと、
まるで別人の作品ではないかと思いたくなるほどに、
音楽の熟成度が高まり、ロマン性の放出が
格段に豊かになっていることに気づくことでしょう。
ほとんど「突然変異」と言って良いような
進境の著しさと私は感じるのですが・・・。

そして更に今度はこの第8番を聴くと、
第7番とはまた異なった印象を持つことでしょう。
茫洋とした楽想が延々と続く、
やや武骨ながら雄大な音楽を聴くことができます。
あの「未完成」の絹のような滑らかさとは
全く違う世界観がここにはあります。

ベートーヴェンの第9のようなスケール感をものする
第1楽章のソナタ形式の扱い、
それに続くこれまた遠大な緩徐楽章、
そしてベートーヴェンの第9の第2楽章のスケルツォと
同じ構成原理を採用した、
つまり主部にソナタ形式を当てはめたトリオ付楽章、
そしてこれまたスケールの大きなフィナーレとしての
ソナタ形式による終楽章まで、
独特の音楽宇宙が繰り広げられます。

ベートーヴェンを元祖とした交響曲作曲家=
シンフォニストの系譜と辿る場合、
私としては二つの係累があると考えるのですが、
その片方は、ベートーヴェン~シューベルト~
ブルックナーという流れだと思うのです。

この「ザ・グレイト」を聴いていると、
再三登場する単純音型の繰り返しや茫洋とした
スケール感に、ブルックナーの元祖といった要素を
貴方も見出すことができると思いませんか?

この作品の私の愛聴版はと言うと、
3月10日の記事でご紹介した
「未完成」とのカップリングによる
ギュンター・ヴァント&ベルリン・フィル盤と、
もう一つ、ジェフリー・テイト盤が
私の仕事場のライブラリーに在ります。

##シューベルト/交響曲第8番「ザ・グレイト」##
      指揮=ジェフリー・テイト
   管弦楽=ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
      EMI-Angel / CC33-3660

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