音楽家・作曲家への道のり第一歩は、
まず、音楽通・音楽愛好家になることです。
好きで好きでたまらない音楽を聴き抜いて、調べ抜いて、
楽しみ尽くす心をなくして、プロにはなれません。

私は、折りに触れて、現代音楽の作曲家の仲間や知人と、
一献ご一緒することがあります。
時には、古今東西の作曲家の書いた「交響曲第#番」の
中で、最高傑作はどれだろうか・・・といった話題で、
何時間も話が尽きないこともあります。

何だかマニアックだなあと思われるかもしれまえんが、
考えてみれば、車の話題、スポーツの話題、歴史の話題、
建築の話題、鉄道の話題、等々、
好事家が集まっての談義がそれぞれにマニアックな訳です。

では、あらためて皆さんにも話題を提起しましょう!
「貴方の、交響曲第10番以上の番号(二桁番号)の
ベスト・ワンは誰の作品ですか?」
マニアックな答えがある方は、
是非メッセージをお寄せください。

クラシック音楽界には、ベートーヴェン以来の
「交響曲を9曲以上書けない」
というジンクスがありました。

ハイドンとモーツァルトは、フランス革命以前の世代で、
同時代の様式の中である程度早いペースで曲を書く
(多くは雇い主のためにせっせと作曲をする)
謂わば職人の時代でしたが、
ベートーヴェン以降は同革命後の世代となり、
自分が納得するまで遂行を重ねて作品を世に問うという
芸術家の時代に移行しました。
ですから、バイドンの交響曲は104番「ロンドン」まで、
夭折したモーツァルトでも番号付交響曲だけでも
第41番「ジュピター」まで書いています。
ところが、ベートーヴェンは有名な第九、
つまり第9番で最後です。

その後のロマン派の作曲家も、シューベルトが
第9番「ザ・グレイト」(現在の研究では第8番)まで、
メンデルスゾーンが第5番「宗教改革」まで、
シューマンが第4番まで、ブラームスも第4番まで、
ドヴォルザーク(ドヴォジャーク)は第9番「新世界」
まで、チャイコフスキーは第6番「悲愴」まで、
ブルックナーが未完ながら第9番まで・・・
となっていて、9番の壁は実に厚いのでした。

そのジンクスを痛切に意識していたマーラーは、
第8番を発表した後、
番号無しの歌曲的交響曲「大地の歌」を書いて、
自分はもう9曲書いたと暗示をかけた上で、
第9番を書き上げて、
更に第10番の作曲に着手しましたが、
それを完成させることができずに
亡くなってしまいました。
ジンクスを意識し過ぎたが故に
第9番止りになってしまったのです。

20世紀に入っても、第9番の壁な厚いようでした。
イギリスのヴォーン・ウィリアムズも
第9番で最後でした。
エルガーな第2番までです。
北欧にシンフォニストが多く誕生しましたが、
シベリウスが第7番まで、
ニールセンが第6番までです。
ロシアの作曲家は、ラフマニノフが第3番まで、
プロコフィエフが第7番「青春」までです。

19世紀終盤から20世紀前半には、フランスにも
交響曲を書く作曲家が登場しましたが、
私の知る限りではオネゲルの第5番が最高数です。

このような具合ですから、第10番以上、
つまり二ケタ番号の交響曲は極めて少ないのです。
ハイドンとモーツァルトには数多く存在しますが、
ベートーヴェン以降の交響曲と比較して論じるのは
少々的外れな感じがしますので、
ここでは除外しておきましょう。

さて、ではロマン派から近現代の二ケタ番号交響曲には
いったいどのような作品はあるでしょうか。

###マーラー/交響曲第10番###
全5楽章構成を計画していたと思われる作品で、
第1楽章をほぼ完成させた段階で、
残りの4楽章についてはスケッチやメモが残されました。
第1楽章は単独でも演奏されるが、
緩徐楽章的な楽想ながら
マーラー流ソナタ形式で書かれた音楽で、
厭世的なロマンの放出が深く、単一楽章交響詩のような
独特の存在感がある名曲と言えるでしょう。
かなり有名になったクック版をはじめ、
遺稿(スケッチやメモ)を基に後世の作曲家や学者が
補作した全曲版も誕生していますが、
ここでは論じないことにしましょう。

20世紀に入っても、第9番の壁は依然厚かったようです。
イギリスのヴォーン・ウィリアムズも第9番で最後でした。
エルガーは第2番までです。
北欧にもシンフォニストが多く誕生しましたが、
シベリウスが第7番まで、ニールセンが第6番までです。
ロシアの作曲家は、ラフマニノフが第3番まで、
プロコフィエフが第7番「青春」までです。

## ショスタコーヴィチ/交響曲第10~15番 概説 ##

ソ連の中にあって社会主義政権下で強烈な意志をもって
作曲活動を続けたショスタコーヴィッチは、
20世紀のベートーヴェンとさえ称されても
不思議ではないほどの存在感に溢れた交響曲を、
何と15番まで完成させました。
第10番(1953年)=オーソドックスな4楽章構成
第11番「1905年」(1957年)
  =血の日曜日事件(1905年)を題材にした
   表題交響曲
第12番「1917年」(1961年)
  =レーニンの十月革命(1907年)を題材にした
   表題交響曲
第13番「バビ・ヤール」(1962年)
  =ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を題材にした
   問題作。ソ連当局から様々な改変を要求されても
   尚、果敢に演奏されたという作品。
第14番「死者の歌」(1969年)
  =全11楽章の声楽付交響曲。
   マーラーの「大地の歌」との近似生が有る。
第15番(1971年)
  =オーソドックスな4楽章構成の器楽交響曲
   に回帰している。最後の交響曲となった。

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特に、第11番から第14番のような
具体性が高く主張の強い作品を次々と世に送り出した
勇気と精神の原動力は何でしょうか。
凄みを感じさせてくれるラインアップです。
私の想い出としては、何とアマチュアの
早稲田大学オーケストラが果敢に日本初演をした
第13番「バビ・ヤール」を聴いたことが挙げられます。

現代音楽の時代にまで視野を広げると、
交響曲を多作する作曲家が散見されます。
その代表的な存在が、
ヘンツェ(1926~2012)でしょう。
オペラ作曲家としても有名です。
第10番を2000年に発表しています。

さてさて、この論議の中から二ケタ番号交響曲の
私なりのベスト・ワンを選ぶという作業は、
なかなか難しい・・・
ショスタコーヴィチの第10番かな~、
というところですね。

YouTube / ショスタコーヴィチ交響曲第10番
      コンドラシン / モスクワフィル