マーラーの交響曲の紹介も5曲目になりました。

第1番「巨人」で、青春の息吹とも言うべき門出を飾った後、
第2番「復活」、第3番「夏の交響曲」と、
声楽を伴う巨大な作品が続いた後、
終楽章の声楽が導入されてはいるものの規模は小さくなった
第4番「天上の生活」による過渡期を経て、
いよいよ中期の器楽三部作と言われる
第5番・第6番・第7番に進んでいきます。

この第5番は、
5楽章構成の規模ながら演奏時間は70分前後で、
明るいフィナーレを持つ明朗な曲調でもあり、
またオーケストラのみで演奏できることから、
演奏機会には特に恵まれている交響曲です。

伝統的に交響曲やソナタ等の絶対音楽多楽章作品の呼称では、
第一楽章の調性を付記する習慣があります。
この曲も「交響曲第5番 嬰ハ短調」と記載されます。
しかし、全5楽章の調性を見てみると、
第一部
 第1楽章=嬰ハ短調
 第2楽章=イ短調
第二部
 第3楽章=ニ長調
第三部
 第4楽章=へ長調
 第5楽章=ニ長調
となっています。
この曲では、いつものマーラー流ソナタ形式による冒頭楽章
に相当するものが、実は第二楽章なのです。
ですから、本当は「交響曲第5番 イ短調」
と呼んでよいのかもしれません。
しかしまた、全体の印象を決定づけている調性は、
長大なスケルツォである第三楽章とフィナーレ(第五楽章)
を支配しているニ長調です。
バロック時代や古典派の時代に成立した習慣は、
もはや後期ロマン派のマーラーの交響曲に適用することは、
あまり意味のあることではないのかもしれませんね。

第1楽章は、トランペットが所謂“運命動機” を連呼して
印象的に始る重苦しい楽想の中にも
哀愁の漂う葬送行進曲です。
本来の冒頭楽章である第二楽章へ導入する序章と
考えて良いでしょう。マーラー自身、
この二つの楽章を合わせて第一部としています。

第2楽章は、マーラー流ソナタ形式の応用による
通常の第一楽章に相当するものです。
第2主題の再提示が思いきったモノディになってること、
展開部がマーラーらしく二段構えになってはいるものの
規模が小さいこと、再現部では第1主題と第2主題が
渾然一体となって再現されていること、
コーダの直前に終楽章のクライマックスを予感させる
ヴォルテージの盛り上げが挿入されていること、
等によってデフォルメされた、
マーラー流ソナタ形式と考えられます。

第3楽章は演奏時間20分近くに及ぶ長大なスケルツォです。
この楽章一つで第二部を構成しています。
通常のマーラー流スケルツォは、ABABAcodaといった
常識的な構成の外見を持っていることが多いのですが、
この楽章はまるでオーケストラの即興演奏を聴いているようで、
一言で表現できる構造原理では説明がしにくい複雑さです。
マーラー流ソナタ形式の影をまとった自由なロンド、
とでも言っておきましょうか。

第4楽章と第5楽章は
アタッカで続けて演奏される第三部です。
トーマス・マンの原作による映画「ヴェニスに死す」で、
この楽章を中心にこの作品が背景音楽としてフル活用されて、
この曲の世界的な人気が確立した観もあります。
管楽器と打楽器が全てお休みで、弦楽器セクションとハープ
のみによって、連綿としたロマン溢れる音楽が奏でられます。

第4楽章の最後にへ長調主和音の第3音=A音(ラ)が
そのまま持続されて、
それが第五楽章の調性であるニ長調の属音
=A音(ラ)にすり替わって、終楽章が始ります。
最初はホルンのメロディに導かれて
牧歌的な雰囲気で始りますが、
やがて音楽は目まぐるしく場面転換を繰り返して、
何度も何度もクライマックスが押し寄せては引き、
約10分にわたって押せ押せの前進を続けますが、
やがて突然の平静が訪れます。
しかし音楽はもう一度立ち上がり、
遂には壮大なクライマックス=コーダに到達します。
この楽章は、マーラー流ソナタ形式とロンド形式と
自由なフーガという様々な様式や構成法を組み合わせたもの
と考えられます。一言でいうならば、
「マーラー流ロンドソナタ形式」です。


この交響曲の録音はそれこそ星の数ほど
沢山リリースされていますので、
推薦盤を限定することは困難の極みですが、
ロマンの放出と自由奔放な闊達さにおいて、
バーンスタイン盤を超えるものは
まだ見当たらないと思います。
私のライブラリーにあるLP盤をご紹介しておきましょう。
(ちょっと変わったジャケット・デザインですよね!)

指揮:レナード・バーンスタイン
管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック
CBS-SONY / SOC J 33~34

$松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-マーラー5番・バーンスタイン盤