チャイコフスキーの交響曲探訪シリーズも、
早いもので今日が最終回になりました。
皆様のご精読に感謝いたします。

さて、第6番「悲愴」は、最晩年の1893年に作曲され、
同年の晩秋にサンクトペテルブルグで、
作曲者自身の指揮によって初演されました。

あまりにも独創的な極限的なディミニュエンドで閉じる終楽章に
戸惑いを隠せない聴衆もいたということですが、
チャイコフススキー自身はこの作品に対して
絶大なる自信があったと伝えられています。

しかし、数日後にコレラに罹患したことが原因で病の床に就き、
初演の9日後に帰らぬ人になってしまったのです。
ですから、作曲家自身が既に命名していたと思われる
”悲愴"という標題が、より一層の運命的な意味を持って
独り歩きを始めてしまった作品でもあります。

私自身、若い頃はあまりにセンチメンタルに感じてしまい、
この曲が好きになれませんでしたが、
次第に音楽を構造的に聴くことができるようになってから、
この曲の魅力に目覚めていきました。
特に、バーンスタインが晩年に録音したCDをの、
1時間に及ばんとする後期ロマン派的な記念碑的名演を
聴いて以来、すっかり虜になっています。

チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
レナード・バーンスタイン指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
グラモフォン / F35G 20084
「悲愴」バーンスタイン盤CD

## チャイコフスキー/交響曲第6番 ロ短調「悲愴」##

第1楽章は、第5番と同様に北方の針葉樹林を思わせる
深々とした序奏から始まります。
やがて、断片的な動機を紡いでいくように
ソナタ形式の第一主題が弱奏から立ち上がります。
そのまま発展的に扱われた後、強奏によって再提示されます。
このあたりの筆致はチャイコフスキーならではのものです。
そのクライマックスが収束した後、がらっとテンポを変えて、
まるで第2楽章として緩徐楽章が始まったかのように、
濃厚なロマンを湛えた第二主題がゆったりと奏されます。
第二主題の中にまた中間主題のような副次的部分もあり、
連綿と続いていきます。
提示部、という一つの部分を捉えるよりも、
第一主題部と第二主題部が存在し、
しかも第二主題部が肥大している
独特なソナタ形式の扱いと考えて良いでしょう。
突然の強奏で展開部が始まります。
かつて、この部分がインスタント珈琲のCMで使われていました。
画面でタクトを振っていたのは岩城宏之さんでした。
第二主題の長さに比べると短めの展開部ですが、
展開の凝縮度と迫力には凄まじいものがあり、
一気にクライマックスの昇り詰めたところで、
そのまま第一主題のフルトゥッティによる再現に突入します。
この手法も、チャイコフスキーの得意技です。
その後、かなり変容された再現と推移が続いた後、
またまた長大な第二主題がやってきます。
そして、これまでのチャイコフスキーの交響曲の冒頭楽章では、
いつも肯定的な終結部が置かれましたが、
この楽章は耽美的に収束していきます。

序奏・第一主題・第二主題・展開・
第一主題・第二主題・終結という7部分構成と捉えて、
第二主題が肥大していると考えると、
通常の交響曲の冒頭楽章と緩徐楽章の内容と性格を
併せ持った楽章と言えると思います。
実に独創的でロマンティックでドラマティックが音楽です。

第2楽章の独創性も半端ではありません。
ロシア風のワルツの雰囲気ですが、何と5拍子なのです。
スラブにはよくある民俗的なリズム感なのだそうです。
複合三部形式によって構成されています。
私としては、スケルツォに変わる舞曲楽章と考えます。

第3楽章はスケルツォ風の行進曲です。
一つの主題でごり押しするような、一直線の迫力があります。
一応、途中で出直すような構成になっていますから、
前後で二部形式的(複合二部形式)と考えて良いでしょう。
通常の交響曲ならばこれで終楽章でも充分と思われる程の
量感と迫力に溢れた音楽です。
確かに、"第1楽章に楽章二つ分の音楽が内包されている"
と考えると、ここまでで楽章四つ分の音楽になっているのです。

このように考えてくると、最後の第4楽章は
実質的には第5楽章に相当します。
一般的には、緩徐楽章を終楽章に持ってきて、
通常の交響曲の楽章順を基準にすると
1342の順番に並べ替えたというよに言われる向きもありますが、
そのような単純な話ではないと私は確信しています。
形式構造は発展的で自由な複合三部形式と考えられます。
中間部がかなり発展的ですから、
ソナタ形式的と捉えてもよいでしょう。
第1楽章の第二主題を対を成す濃厚なロマンを湛えた
音楽が、最後は消え入るように全曲を閉じます。

YouTube / 交響曲第6番《悲愴》(チャイコフスキー)
1973年11月25日 ベルリンフィルハーモニーホール
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団



マーラーの交響曲第9番は、この"悲愴"が無かったら
あのような形では誕生しなかったのでないでしょうか。
後世にもの大きな影響を及ぼした、
希代の名曲と言えるでしょう。