昨日の<ISCM世界音楽の日々'93メキシコ大会>の話題を続けます。
この年のISCM総会は、前年のワルシャワ大会の総会に続いて、
重要な決議がなされました。ワルシャワで準会員制度
(各国1正支部の従来の原則に加えて、異なる団体の準会員としての
加盟を認めるというもの)が承認され、
このメキシコ大会では、その適用第1号として、
(社)日本作曲家協議会(JFC)の準会員としての加入が承認されたのです。
当時、世界に冠たる経済大国でありながら
ISCM世界大会を一度も招致できずにいた
日本に対する風当たりは、相当に強いものでした。
既に、アジア作曲家連盟(ACL)の音楽祭を1990年に東京と仙台で開催し、
大成功を収めていたJFCの加盟は、総じて歓迎されました。
日本正支部の日本現代音楽協会と準会員の(社)日本作曲家協議会が
一致協力して、日本大会を開催してくれるのではないか
という期待がかかっていたように思われました。
実際、以後にそのような準備活動も始ったのですが、
なかなか思うようには事は運ばず、最終的には、
日本現代音楽協会が単独での開催を模索していき、
遂に2001年に日本大会を実現し、成功させたのです。
その顛末については、既にこのブログで長期連載済ですが、
いずれまた再アップして詳しくご紹介するつもりです。
話は戻って・・・このメキシコ大会あたりから、
ISCMに於けるアジアの加盟国の存在感が、
大きなものになっていきました。
1988年大会を主催した香港支部の要人は、
この頃から本部役員の常連になっていきました。
下は、私が記事を執筆した「音楽現代」誌面の一部です。
上段の写真は、会期中にアジア諸国のメンバー多数が
偶然に集まった時に撮影したショットです。
下段は、タマヨの大作が並ぶ博物館の荘厳な空間です。
この年のISCM総会は、前年のワルシャワ大会の総会に続いて、
重要な決議がなされました。ワルシャワで準会員制度
(各国1正支部の従来の原則に加えて、異なる団体の準会員としての
加盟を認めるというもの)が承認され、
このメキシコ大会では、その適用第1号として、
(社)日本作曲家協議会(JFC)の準会員としての加入が承認されたのです。
当時、世界に冠たる経済大国でありながら
ISCM世界大会を一度も招致できずにいた
日本に対する風当たりは、相当に強いものでした。
既に、アジア作曲家連盟(ACL)の音楽祭を1990年に東京と仙台で開催し、
大成功を収めていたJFCの加盟は、総じて歓迎されました。
日本正支部の日本現代音楽協会と準会員の(社)日本作曲家協議会が
一致協力して、日本大会を開催してくれるのではないか
という期待がかかっていたように思われました。
実際、以後にそのような準備活動も始ったのですが、
なかなか思うようには事は運ばず、最終的には、
日本現代音楽協会が単独での開催を模索していき、
遂に2001年に日本大会を実現し、成功させたのです。
その顛末については、既にこのブログで長期連載済ですが、
いずれまた再アップして詳しくご紹介するつもりです。
話は戻って・・・このメキシコ大会あたりから、
ISCMに於けるアジアの加盟国の存在感が、
大きなものになっていきました。
1988年大会を主催した香港支部の要人は、
この頃から本部役員の常連になっていきました。
下は、私が記事を執筆した「音楽現代」誌面の一部です。
上段の写真は、会期中にアジア諸国のメンバー多数が
偶然に集まった時に撮影したショットです。
下段は、タマヨの大作が並ぶ博物館の荘厳な空間です。