2013年5月に私が始めてウクライナを訪ねる機会に恵まれて、
同国東部ドンバス地方の中心都市=ドネツクで開催された国際現代音楽祭で
オーケストラを指揮した経験は、今なお私の脳裏に鮮明に刻まれています。

私の訪問の暫く後に、突如としてロシアによるウクライナへの介入が始まり、
クリミア半島やドネツク等を中心として情勢が渾沌としたまま、
その後もズルズル時が経過してきてしまいました。
そして遂にここ数日の各種報道の通り、ロシアの侵攻が本格化して、
まるで人類史の時計が100年程逆回りして、
帝国主義の時代に戻ってしまったような状況になってしまいました。
いったいあの美しく豊かな風土に恵まれた国は、
どこまで分裂してしまうのでしょうか。

如何なる理由があるにせよ、一般市民の人権や生活権、国家の主権は、
軍事力で虐げられてはならないと思います。
ウクライナの平和を希求しつつ、
2013年の私のウクライナ訪問記を再掲載して、
在りし日の美しいドネツクの街・人々・文化を振り返りたいと思います。

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私は、2013年5月にウクライナの大都市のひとつ、
ドネツクの現代音楽祭に指揮者として招聘され、
得難い国際交流の経験をする機会を得ました。
その時は、平穏で平和なウクライナでした。

一般市民の犠牲者が出るような悲惨な事態にならずに、
平和な解決・帰結を迎えられるよう、願ってやみません。

深夜の記事シリーズとして、ウクライナの平和を願って、
2013年の想い出の記事を再掲載しています。

*****2013年5月28日の記事*****

ウクライナ・ドネツクの地元のオーケストラ、
アカデミック・フィルハーモニック・オーケストラ・ドネツク
とのリハーサルは、4時間のセッションが3回設定されました。
その3回には、当日リハ(日本ではゲネプロに相当)も
含まれていますから、日本流に言えば、
「リハ2回のゲネプロ本番」ということになるでしょうか。

しかも、1回のセッションは、
4時間と言っても45分音出し&15分休憩のパターンを
繰り返しますから、実質的には3時間です。
当初の計画では4回のセッションが予定されていたのですが、
音楽祭3日目夜の公演に同じオーケストラが出演することが
後から決まって、日程がタイトになってしまったようです。

そして、私が指揮して本番に臨むべきプログラムは超重量級で、
現代作品ばかりで6曲、しかも協奏曲が5曲という難物でした。
ですから、リハーサルは非常に厳しいものになりました。

ウクライナの楽員の大半は英語をあまり理解しませんし、
現代音楽に対してオープン・マインドではありますが、
西欧新しいの作品の経験は豊富とは言えず、
ましてや私の作品に要求される日本的繊細さというものは、
ほぼ初体験といって良い状況です。

更には、私の作品のうちの1曲<PHONOSPHERE Ⅳ-b>は、
弦楽器セクションを左右対称2組に分割配置するという
特殊な舞台設定が要求されるため、
そのような経験を持たないスタッフや楽員は、
最初はオロオロするばかりという事態もありました。
したがって、初回のリハーサル・セッションは、
かなりゴツゴツした船出になりましたが、
回を重ねる毎にお互いの意志の疎通が
スムーズになっていきました。

それにしても、異国のオーケストラに一人乗り込んで、
「何物が来たか!」と身構える楽員を前にして、
自分の主導で音楽を作り上げていくという経験は、
非常にタフでしたがやり甲斐も大きく、
素晴らしい経験、心の財産になりました。


松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-フィルハーモニー協会建物

上の写真は、リハーサルと本番が行われた、
ドネツク・フィルハーモニー協会の建物です。
ソ連時代からの古い建造物でしたが、
なんともいい味を出している場所でした。
演奏会場の名前は、セルゲイ・プロコフィエフ・ホールです。
この有名な作曲家は、ウクライナの生まれなのです。

日本のオーケストラにとって羨ましい環境と思われるのが、
リハーサルも本番も同じ舞台で実施しているということでした。
おらが街のフィルハーモニー協会ホールの
おらが街のオーケストラといった市民の認識もあるでしょう。
タイトなリハーサルと大変な本番でしたが、
全てを同じ場所で、同じ音響で行なえたことは、
大いなる救いとなりました。

下の写真は、プロコフィエフ・ホール入口脇に掲出されていた
音楽祭の特大ポスターです。私の写真も下の方に見えます。

松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~-入り口脇のポスター

このシリーズ、まだまだ続きます。