夜の記事シリーズとしてアップしてきた
ジャン・シベリウス(1865~1957)の交響曲の軌跡も
今夜の<第7番>で最後となります。

交響詩の分野で傑作を多数書いた後、
1898年から1899年にかけて作曲した<交響曲第1番>と
1902年に初演された<交響曲第2番>は、
ともにオーソドックスな4楽章構成でした。
その後、30歳代半ばを過ぎたシベリウスは、
独自の楽章構成を模索するようになっていきました。
1907年に発表した<交響曲第3番>では、
スケルツォとフィナーレを編合させたようにも捉える
ことができるユニークな3楽章構成を採用しました。
1911年に発表した<交響曲第4番>では、
緩急緩急というバロック時代の教会ソナタ等式の
構成にも通じる、独特の4楽章構成を見せています。
最終的に1919年に現行版が完成した<第5番>では、
ソナタ形式楽章とスケルツォを
第1楽章としてまとめるという、
<第3番>とは異なる思考による3楽章構成を試みました。
しかし、1923年に完成された<第6番>では、
一転してオーソドックスな4楽章構成に立ち戻っています。

実は、<第5番>と<第6番>と<第7番>は、
最初の発想・構想はほぼ同時期に開始されたと
言われています。様々な楽章構成への試みを進めていた
シベリウスの軌跡が、これらの作品を
俯瞰することによって浮かび上がってきます。

そして、結局は最後の交響曲となった、
この<交響曲第7番>で、まるで交響詩を思わせるような
単一楽章の境地に辿りついたのです。
<交響幻想曲>というタイトルも考えられたようですが、
最終的には<交響曲第7番>に落ち着きました。
1924年に完成され、
翌年に作曲家自身の指揮で初演されています。

###シベリウス<交響曲第7番>ハ長調 作品105###

まるで音階を引き伸ばしたような、風変わりなモティーフが、
実は重要な素材となって全曲にわたって活用されていく、
不思議な魅力に満ちた作品です。
連綿と複合しながら紡がれていく音楽ですが、
伝統的に交響曲を構成する要素に幾分にでも相当する
5つの部分を指摘しながら分析できるように考えられます。

テーマの提示と祈るようなコラール風楽想による
序奏と提示部を兼ね備えた序盤から
<第5番>のフィナーレを思わせるような、大自然を
讃えるような大らかなクライマックスに至る第1部分、
続いて緩徐楽章的な性格を持って推移する第2部分、
テンポを挙げてスケルツォ風の楽想が全曲の中で
スパイスを効かせる第3部分、と進行していきます。
スケルツォ風の楽想の中で、第1部分で一度到達した
クライマックスが嵐のような伴奏に伴われつつも
雄大に回帰する場面は、実に印象的です。
そして、スケルツォのテンポが保持されたまま
再現部の要素も感じさせる第4部分に続きます。
やがて、音階状モティーフの原型が聴こえながら
テンポを落として自然讃歌が再び回帰する辺りからが、
終結部と目される第5部分となります。

多楽章交響曲の伝統を単一楽章に再構成して、
シベリウスの個性で染め上げたと言える、
素晴らしく独創的な交響曲です。

シベリウス/交響曲第6番/ヴァンスカ盤


第一次世界大戦を跨ぐ厳しい時代のヨーロッパ、
それもロシアの圧政下にあった
フィンランドを祖国としながら、
数々の独創性を発揮しながら名曲の数々を創作した
大作曲=シベリウスに、改めて敬意を表したいと思います。

YouTube / シベリウス作曲 交響曲第7番
      ネーメ・ヤルヴィ指揮
      ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団


シベリウス生誕150年に寄せての記事シリーズ、
一先ずお開きといたします。