今年は、楽聖=ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの生誕250年にあたります。
小学校高学年の頃からオーケストラを聴くことに強い興味を持つようになった私にとって、
ベートーヴェンの交響曲の交響曲全曲を聴くことが先ず最初の目標でした。
カラヤン指揮:ベルリン・フィルの来日演奏会で、ベートーヴェンの田園と第5
というプログラムを聴いた時の情景は、まだ脳裏に鮮明に残っています。
そして、このところ9曲の交響曲を番号順に探訪しています。
写真:第4番&第5番 ホグウッド指揮&アカデミー・オブ・エンシェント盤(CD)
###ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン###
(1770-1827)
交響曲第4番 変ロ長調 作品60
非公開初演:1807年3月 ロブコヴィッツ公爵邸
公開初演:1807年11月15日 ブルク劇場
交響曲第4番は、ロブコヴィッツ公爵邸での私的演奏会で、
ピアノ協奏曲第4番などと共に、ベートーヴェン自身の指揮で初演されました。
有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」に象徴される、
聴覚異常という苦難を精神的に乗り越えて偉大な飛躍を遂げた前作、第3番「英雄」と、
泣く子も黙る"運命"こと第5番の間に挟まれて、幾分地味な印象もある第4番ですが、
実に優美で素晴らしい交響曲です。
第1楽章は、先ず深遠な序奏が同主調の変ロ短調で始まり、厳かに響きます。
第2番以上に、後年の交響曲第7番の第1楽章の序章を予感させてくれます。
後続の様々な主題との動機関連が、かなり綿密に考えられていることも見出せます。
ゆったりとした二拍子から早いテンポの4拍子に変わるところから、
ソナタ形式主部に突入して、本来の変ロ長調になった音楽は、壮快に疾走を始めます。
分散和音による跳躍音程を主体とする第一主題(移動ド読み:
シドレミ・ド・ソ・ド・ミ・ソ・ド・ミ・ラ・ファ・レ・ド・シ・ソ・ファ・レ~)と、
順次進行を多用する推移楽想や第二主題が好対照を成す提示部は、
定型通りの繰り返しを経て、"エロイカ"の第1楽章程に長大ではないものの
充分に吟味された展開部を聴かせた後、提示部と微妙な差異が施された再現部が続き、
ベートーヴェンとしては幾分小振りの終結部によって締めくくられます。
展開部から再現部に移行する場面での弱奏による周到な音楽には、
ベートーヴェンならではの独創性を感じずにはいられません。
第2楽章は、変ホ長調で基本的に穏やかな音楽です。
第1番や第2番の第2楽章と同様に、ソナタ形式の構成に乗せた緩徐楽章となっています。
各主題に第1楽章の各主題との近似性を見出すことができます。
第3番以降の第2楽章(緩徐楽章)はソナタ形式を離れて独自の構成を採っていますが、
この第4番では一度基本に立ち返っていることになります。
しかし、一瞬、二部形式による第一主題の再現と思わせておいてから、
充実した展開を経て、本来の再現部の第一主題に到達するという、
ベートーヴェンならではの独創性が秘められています。
第3楽章は変ロ長調で、スケルツォと明記されてはいませんが、
性格的にはスケルツォ楽章です。
早めのテンポで全曲の中でスパイスのような存在感があるところは、
いかにもベートーヴェンのスケルツォです。
しかし、メヌエット以来の舞曲楽章の伝統の枠組みを打破して(或いは拡大して)、
トリオ(中間部)の楽想が二度登場する規模になっています。つまり、
スケルツォ〜トリオ〜スケルツォ〜トリオ〜スケルツォという構成になっています。
このようにスケルツォの典型的な構成を採用しなかったことから、
ベートーヴェンはスケルツォと明記しなかったのではないでしょうか。
この楽章では、二回目のトリオと三回目のスケルツォは小規模になっていますが、
この後の第5番から第7番にかけての第3楽章では、完全に同規模のトリオが二度登場する
ベートーヴェン流のスケルツォが定着することになっていきます。
第4楽章も変ロ長調で、ソナタ形式による終楽章です。
第一主題・推移楽想・第二主題などを分析的に眺めてみると、
これまでの楽章に登場した主題や動機をの関連性を見出すことができます。
第一主題に関連するパッセージ音型から導入される展開部が次第にヴォルテージを上げた後、
提示部との差異を随所に発散する再現部を聴かせ、更に楽想全体のバランスに照らすと
とても長い終結部に至ります。この楽章だけでなく、全曲の終結部(コーダ)としての
存在感が鮮明になってきたと言えるでしょう。
ベートーヴェン流の四部構成ソナタ形式(提示部・展開部・再現部・終結部)の、
終楽章における活用が徹底してきて、いよいよ次の第5番では、
更に痛烈な世界、音宇宙を創出していくことになるのです。
写真:第4番 他 ムラヴィンスキー指揮&レニングラード・フィル盤(CD)
融和な表情が魅力と思われているこの第4番でこんなにも冷徹な演奏が可能とは、
と思わせてくれる、鬼才ムラヴィンスキーならではの演奏を聴くことができます。