大相撲ファンを自認する私です。
ファン垂涎のDVDマガジンが誕生しました。
ベースボールマガジン社 分冊百科シリーズ
月刊「大相撲名力士風雲録」です。
第26号は、終戦の混乱期から
やがて栃若時代の絶頂に向う
昭和20年代から30年代前半の大相撲の
屋台骨を支えた四人の横綱、
東富士・千代の山・鏡里・吉葉山の特集、題して
〜波瀾万丈!黄金期への土台を築いた希望の4横綱〜
となっています。
前号(第25号)の羽黒山・安藝ノ海・照國・前田山の
直ぐ後の時代を繋いだ四人の横綱の特集です。
東富士は、昭和23年〜28年の間、毎年1場所ずつ
優勝を重ねて、計6回の優勝を果たしながら、
戦後の復興期の大相撲を支えました。
4回目の優勝の時に、プロレスに転身する力道山の
オープンカーを借りて個人的にパレードを行い、
これがその後の恒例となった優勝パレードの
先駆けとなったという逸話もまります。
"江戸っ子横綱"とも呼ばれ、きっぷの良さは天下一品、
5人横綱になってしまうことによって大関で連続優勝を
果たした栃錦の横綱昇進が見送られるかもしれないと
考えて、自ら引退を決意した引き際の見事さは、
今でも相撲界の語り草となっています。
千代の山は、横綱審議会が設置されてから
その推挙によって誕生した初めての横綱でもあります。
長身からの突っ張りと右四つからの寄りを得意として、
大関で3回、横綱で3回、計6回の優勝を果たしました。
横綱在位32場所の記録は、当時としては
羽黒山の30場所を越えて史上最多でした。
鏡里は、見事な太鼓腹をゆさぶってのせり上がる
雲竜型の土俵入りが"動く錦絵"と讃えられた
堂々たる体躯の横綱でした。
4回の優勝は全て14勝1敗でした。
大横綱:栃錦の全盛期の前半の
好敵手でもありました。
美男力士として空前絶後の人気力士だった吉葉山は、
しかし非運の力士として有名でもあります。
伸び盛りの年代を軍隊生活に費やすことになり、
しかも戦場で銃弾を浴びた結果の後遺症も残り、
加えて、当時は小部屋であった高島部屋だったため、
部屋別総当たりではなかった時代では
相当なハンデとになったのでした。
それでも、昭和29年初場所で全勝優勝を遂げて
遂に横綱昇進を果たしたのでした。
優勝は1回に留まりましたが、相撲史に
強い印象を残した力士でした。
「大相撲名力士風雲録」は、まだまだ続きます。
