世界的にも異例な近年の日本の経済状況の中にあって、
市井の人々の一般的な感覚として、
ともすると「何でも安ければ良い!」という考え方が
蔓延しているような気がするのは、
私だけではないでしょう。
確かに、誰にとっても、同じ物を購入するのに、
安い方が好都合に決まっています。
しかし、安さを競い価格競争に陥ると、
最後にはその分野全体の衰退を招きかねないという事を、
私たちは今一度認識する必要があるのではないでしょうか。
例えば、食文化の例を引いて考えてみるならば、
個人営業の手作りの豆腐店が
かつては商店街に1軒は在ったものでした。
しかし、スーパーやコンビニで販売される
大規模工場で生産される安価な商品が出回るようになって、
多くの豆腐店は立ち行かなくなってきています。
確かな仕事をしている個人店の豆腐の美味しさを知りながら、
安価な商品をついつい買ってしまうという消費者の行為が、
日本の貴重な伝統文化である豆腐造りの業界を
すっかり疲弊させてしまったのです。

芸術文化に関しても、経済とは無縁ではありません。
現代社会に在っては、インターネットの発展によって
無料で享受できる音楽や映像が大量に出回っています。
芸術や文化や鑑賞娯楽に対価を支払うことに対して、
消極的な人が残念ながら多いことは事実でしょう。
しかし、それが、最終的には回り回って、日本全体の
文化力を低下させてしまうことに繋がってしまうのです。
芸術音楽の分野の演奏面の基盤は、オーケストラです。
古典派の時代からヨーロッパの芸術音楽の
演奏面での核として大いに発展してきたオーケストラは、
20世紀後半になると世界中に普及していきました。
現在では、大抵の国家の首都には
必ずオーケストラが在りますし、
ヨーロッパに限らず世界中の先進国や主要国ならば
大都市には必ずオーケストラが在ります。
私には、南米はエクアドルの国立ユース・オーケストラを
自ら指揮して、「日本=エクアドル友好演奏会」で
自作のピアノ協奏曲作品を演奏した経験がありますが、
なかなか優秀な団体でした。
そういった中でも、やはりこれはという国のオーケストラは、
演奏の水準が高く、また意識の高いプログラム内容をもって
その国の文化の要となるような活動を展開しています。
ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、等が
その代表的な国として挙げられるでしょうか。
日本も、アジアの国でありながら、
その仲間に入っていると私は考えています。
しかしながら・・・
現状はかなり厳しいということもまた事実でしょう。
例えば、日本で最も有名なオーケストラと目される
NHK交響楽団(通称N響)の
定期演奏会に行ってみてください。
客席の年齢層の高いことといったら、
最早半端ではありません。
50歳台の私が行っても、私より若い人を見つけるのに
多少は苦労を伴うほどなのです。
あと5年~10年と経っていった時に、
果たして聴衆はどのくらい居るのだろうかと、
考えさせられてしまいます。
###NHK交響楽団のCDの一例###
プロコフィエフ/交響曲第6番
バレエ音楽「ロメオとジュリエット」(抜粋)
指揮=シャルル・デュトワ 管弦楽=NHK交響楽団
LONDON / POCL-1826

しかしながら・・・
オーケストラの音楽は、本当に素晴らしいものです。
若い皆さんも、是非ともオーケストラを聴きに
コンサートホールに足を運んでください。
きっと、心と人生を豊かにしてくれます。
クラシック音楽の要となるオーケストラという文化を
皆さんの力で守り立てていってください。
日本が世界に誇る伝統音楽や伝統芸能と
インターナショナル・スタンダードとしての
オーケストラを核としたクラシック音楽が
どちらも極めて盛んであるところが、
日本が世界的に見ても断然特有の輝きを放つ、
文化立国・文化大国への要なのです。
このブログでも、オーケストラの情報や、
交響曲等のオーケストラ作品の紹介を、
断続的にアップしていきます。
若い皆さん!オーケストラを聴きましょう!
一昨年5月のウクライナでの私が指揮した演奏会の写真を
最後にアップしておきましょう。
・・・<Donbas Modern Music Art 2013>
ファイナル・コンサートのプログラム全てを指揮・・・

・・拙作<PHONOSPHERE Ⅳ-b for Guitar and Orchestra>
を含むホール現代作品6曲(うち協奏曲5曲)という
極めてハードなプログラムの指揮は大変でした・・・

・・・結果としては会場総立ちの大喝采となり、
ドネツク・フィルハーモニックも大満足の
素晴らしいコンサートになり安堵しました・・・

生身の人間が何十人も力を合わせて
一つの音楽を演奏するという行為は、
実に貴重で意義がある営みであると思います。
一人でも多くの方が、その想いと音楽を
聴き手として共有されることを願ってやみません。