一般的にはこの曲は単に「交響曲第3番」と呼ばれていますが、
私はこの「夏の交響曲」という副題に共感しています。
第1楽章は、破天荒な規模を持っていた「復活」のそれを
早くも凌駕して、演奏時間が30分を軽く超える壮大なものです。
ブラームス「交響曲第1番」終楽章のテーマを
変容させたようなホルンの彷徨から音楽は開始されます。
このトピックス主題がある分複雑に感じますが、
基本的には「復活」の第一楽章と同じ手順で構成されています。
「夏がやってきた!」楽章です。
復活と同じく、冒頭楽章を「第一部」として、
後続の楽章群を「第二部」として捉えます。
第2楽章がマーラー流のレントラー、
第3楽章がマーラー流スケルツォ、
第4楽章で独唱が導入されるという辺りまで、
確かに「復活」で辿った道筋を更にスケールアップしながら
トレースしていきます。
特に、スケルツォのトリオの部分とコーダの部分に登場する
ポストホルン(郵便ラッパ)のバックステージからの響きが、
聴き手を屋外空間の感興に誘います。
第4楽章から終楽章までは切れ目なく続けて演奏されます。
(そうしないケースも多々あるのですが、
私は「けしからん!」と思います。)
第5楽章は、女声合唱と児童合唱が導入されて、
キリスト教の鐘の音を溌剌と印象づける異色のスケルツォ
という趣の音楽です。
第6楽章は、珍しい緩徐楽章調の終楽章です。
作曲当初はこれほど大きな楽章にするつもりではなく、
更に第七楽章が続いて全曲を閉じる予定だったのですが、
この楽章が書き進められるうちに拡大して、
遂にはフィナーレになったようです。
それにしても心暖まる音楽です。
この作品は、最初の設計段階では、
第1楽章:パン(牧神)が目覚め、夏がやってくる。
第2楽章:牧場の花が私に物語ること。
第3楽章:森の獣たちが私に物語ること。
第4楽章:人(あるいは夜)が私に物語ること。
第5楽章:天使が私に物語ること。
第6楽章:愛が私に物語ること。
第7楽章:天上の生活(あるいは、子供が私に物語ること)。
という楽章配置と副題を予定していましたが、
第6楽章が拡大したので、第7楽章は削除されて
後の「交響曲第4番」の第4楽章(終楽章)に
転用されたという経緯があります。
壮大な第1楽章の音の饗宴にどっぷりと浸かった後に
花・動物・人間・天使・愛と、
第2楽章から第6楽章に向かって昇華されていく構成を
じっくり味わいながら、この曲は鑑賞したいものです。
マーラーの「自然交響曲」であり「愛の交響曲」であると、
私は思っているのです。
若い頃、この曲は私のマーラー交響曲の好みリストでは
必ずしも上位ではありませんでしたが、
次第に歳を重ねるにつれてこの曲を好きになっている自分を
今は実感しています。
レナード・バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィル
(グラモフォン盤)のロマンの放出に勝る名演は
未だに皆無かもしれませんが、
近年に聴いたチョン・ミュンフン指揮/NHK交響楽団の
演奏等も素晴らしいものでした。
下の写真は、LP時代に聴いた私の所蔵盤です。
ジェームズ・レヴァイン指揮/シカゴ交響楽団
RCA / RVC-2254-5
