「ウクライナ演奏旅行体験記」の記事を連日のようにアップ
してきましたが、いよいよ最終コーナーになってきました。
5月17日夜、私が指揮をしたファイナル・コンサートが
爆発的な拍手喝采と伴に終演となりました。

終演直後の私は、汗をびっしょりとかいて、
燕尾服の中は蒸し風呂のような具合で、
楽屋で着替えてしばらくしても身体がほてり続けていました。
ミネラルウォーター1本を一気に飲んでも、
まだ喉の渇きが収まらないほどでした。
まるでタイトルマッチ直後のボクサーのように、
虚脱状態と興奮状態が渾然一体となった感じでした。
独奏者諸氏の満足そうな笑顔、オーケストラのメンバーの笑顔が、
私の瞼の奥と心に滲みました。
大変なリハーサル・セッションを重ねましたが、
その甲斐があったというものでした。
音楽祭ダイレクター=ペトリチェンコ氏自ら車を運転して、
ホテルに荷物を置きに立ち寄った後、レセプションを兼ねた
夕食会の会場まで同行してくださいました。
まだ血流が胃腸に回っていないようで、
暫くは食べ物があまり喉を通りませんでしたが、
ビールやウォッカを飲みながら、少しずつ食欲が回復してきて、
音楽祭関係者や他の作曲家や演奏家との語らいの時を楽しみました。
多くの方々から、指揮と作品の両面にわたり賛辞の言葉をいただき、
今回の大役をなんとか無事に遂行することができた、
安堵感と歓びが沸々と込み上げてきました。
会食の途中、ギタリストのMagnus Anderssion氏が、
「このような壮大なプログラムを考え、スウェーデンの演奏家から
日本の作曲家・指揮者まで巻き込んだ凄い企画を実現に導いた
“クレイジーな” Vadimに感謝したい!」という内容をスピーチして、
一応はどっと沸きました。私も全く同感でした。
翌朝にはもうドネツクから日本に旅立たなければならないという
一抹の寂しさも感じながら、夕食会の会場を後にして、
綺麗な街並みの中を歩いてホテルに戻ったところ、
ロビーにはまだ音楽祭関係者が多数たむろしていたので、
やがて和やかな記念撮影に和ができてきました。
ハイ、ポース! 先ず私がシャッターを切りました。

続いて私も入って、ハイ、ポーズ!

全力を尽くした心地よい疲れの中で、
スーツケースのパッキングを粗方済ませてから、
眠りにつきました。
してきましたが、いよいよ最終コーナーになってきました。
5月17日夜、私が指揮をしたファイナル・コンサートが
爆発的な拍手喝采と伴に終演となりました。

終演直後の私は、汗をびっしょりとかいて、
燕尾服の中は蒸し風呂のような具合で、
楽屋で着替えてしばらくしても身体がほてり続けていました。
ミネラルウォーター1本を一気に飲んでも、
まだ喉の渇きが収まらないほどでした。
まるでタイトルマッチ直後のボクサーのように、
虚脱状態と興奮状態が渾然一体となった感じでした。
独奏者諸氏の満足そうな笑顔、オーケストラのメンバーの笑顔が、
私の瞼の奥と心に滲みました。
大変なリハーサル・セッションを重ねましたが、
その甲斐があったというものでした。
音楽祭ダイレクター=ペトリチェンコ氏自ら車を運転して、
ホテルに荷物を置きに立ち寄った後、レセプションを兼ねた
夕食会の会場まで同行してくださいました。
まだ血流が胃腸に回っていないようで、
暫くは食べ物があまり喉を通りませんでしたが、
ビールやウォッカを飲みながら、少しずつ食欲が回復してきて、
音楽祭関係者や他の作曲家や演奏家との語らいの時を楽しみました。
多くの方々から、指揮と作品の両面にわたり賛辞の言葉をいただき、
今回の大役をなんとか無事に遂行することができた、
安堵感と歓びが沸々と込み上げてきました。
会食の途中、ギタリストのMagnus Anderssion氏が、
「このような壮大なプログラムを考え、スウェーデンの演奏家から
日本の作曲家・指揮者まで巻き込んだ凄い企画を実現に導いた
“クレイジーな” Vadimに感謝したい!」という内容をスピーチして、
一応はどっと沸きました。私も全く同感でした。
翌朝にはもうドネツクから日本に旅立たなければならないという
一抹の寂しさも感じながら、夕食会の会場を後にして、
綺麗な街並みの中を歩いてホテルに戻ったところ、
ロビーにはまだ音楽祭関係者が多数たむろしていたので、
やがて和やかな記念撮影に和ができてきました。
ハイ、ポース! 先ず私がシャッターを切りました。

続いて私も入って、ハイ、ポーズ!

全力を尽くした心地よい疲れの中で、
スーツケースのパッキングを粗方済ませてから、
眠りにつきました。