昨日の記事で触れた<ISCM世界音楽の日々'92ワルシャワ大会>
=<ISCM World Music days '92 Warsaw>について、
想い出やエピソードをご紹介しましょう。
フライトはアエロフロートのモスクワ一泊乗り換え便でした。
今のような直行便はまだ少なかった時代です。
欧州便は、アンカレッジ経由かモスクワ経由のフライトが
一般的だった頃の最終期でした。
今から考えると信じられないようなレベルの内装とサービスで、
足をバタバタさせているうちにめくれ上がって床の合金の地金が
見えてくるようなボロボロのカーペットや、
ビヤ樽のように太ったスチュワーデス
(現在はキャビンアテンダントと言いますね)
が、食事のサービスが終わった後に空いている席で
いびきをかいて眠っているなど、
とにかく "怖い" を通り越して "面白い" 体験でした。
ペレストロイカの時代の直後で社会主義の崩壊期でしたから、
資本主義的な思考が浸透しはじめていたのでしょう。
モスクワ空港に到着すると、トランジット・ロビーに
日本人だけを目当てとした "モスクワ市内観光2000円" の勧誘があり、
何時間も待ってから宿泊先に案内される通常の扱いよりは遥かにマシ
ということで、大半の日本人はそのツアーに参加したのでした。
とにかくビザ無しにもかかわらず、赤の広場を自由散策できて、
クレムリン宮殿やレーニン廟を眺めたり、
キャビアや民芸品の店に案内されたりといった、
バスによる市内観光を体験できて、最後には、
(あの不評をかっていたエアポートホテルではなくて)
元ソビエト共産党幹部の宿舎と思われるテラスハウス風の
コテージ式ホテルに一泊できたのでした。
そして、翌日のチェコ航空ローカル便でワルシャワ入りしました。
私にとって初めてのヨーロッパ旅行は、
このようなユニークな体験から始っていったのでした。
同じ便に、同一音楽祭に同じく入選されていた作曲家=
大村哲弥氏が乗り合わせていて、イサン・ユン氏の想い出など
いろいろとお話を訊かせていただきました。
(大村氏は五年前に鬼籍に入られてしましました。
まだお若かったのに残念です。ご冥福をお祈りいたします。)
珍道中記・体験記、まだまだ続きます。
今日の写真は、赤の広場の景色です。

=<ISCM World Music days '92 Warsaw>について、
想い出やエピソードをご紹介しましょう。
フライトはアエロフロートのモスクワ一泊乗り換え便でした。
今のような直行便はまだ少なかった時代です。
欧州便は、アンカレッジ経由かモスクワ経由のフライトが
一般的だった頃の最終期でした。
今から考えると信じられないようなレベルの内装とサービスで、
足をバタバタさせているうちにめくれ上がって床の合金の地金が
見えてくるようなボロボロのカーペットや、
ビヤ樽のように太ったスチュワーデス
(現在はキャビンアテンダントと言いますね)
が、食事のサービスが終わった後に空いている席で
いびきをかいて眠っているなど、
とにかく "怖い" を通り越して "面白い" 体験でした。
ペレストロイカの時代の直後で社会主義の崩壊期でしたから、
資本主義的な思考が浸透しはじめていたのでしょう。
モスクワ空港に到着すると、トランジット・ロビーに
日本人だけを目当てとした "モスクワ市内観光2000円" の勧誘があり、
何時間も待ってから宿泊先に案内される通常の扱いよりは遥かにマシ
ということで、大半の日本人はそのツアーに参加したのでした。
とにかくビザ無しにもかかわらず、赤の広場を自由散策できて、
クレムリン宮殿やレーニン廟を眺めたり、
キャビアや民芸品の店に案内されたりといった、
バスによる市内観光を体験できて、最後には、
(あの不評をかっていたエアポートホテルではなくて)
元ソビエト共産党幹部の宿舎と思われるテラスハウス風の
コテージ式ホテルに一泊できたのでした。
そして、翌日のチェコ航空ローカル便でワルシャワ入りしました。
私にとって初めてのヨーロッパ旅行は、
このようなユニークな体験から始っていったのでした。
同じ便に、同一音楽祭に同じく入選されていた作曲家=
大村哲弥氏が乗り合わせていて、イサン・ユン氏の想い出など
いろいろとお話を訊かせていただきました。
(大村氏は五年前に鬼籍に入られてしましました。
まだお若かったのに残念です。ご冥福をお祈りいたします。)
珍道中記・体験記、まだまだ続きます。
今日の写真は、赤の広場の景色です。
