1月30日の記事(コンピュータ音楽を聴こう!)の中に出てきた
イベント・スペースの想い出を綴ってみましょう。
建築物としても有名な、市谷の坂道の斜面に佇む
軽やかな白亜の建物が、東京日仏学院です。
その中のイベント・スペースは、
以前は“東京日仏学院ホール”と呼ばれていましたが、
リニューアル・オープンして館内全体がモダンな雰囲気に
一新された時から、“エスパス・イマージュ”
という呼称になったようです。
“東京日仏学院ホール”の時代に、
現代音楽作曲界の若手の登竜門としてのコンクール=
「日仏現代音楽作曲コンクール」が開催されていました。
私は、その第3回(1985年)で
3人のファイナリストに残ることができて、
“特別賞”を受賞することができました。
審査員長はトリスタン・ミライユ氏で、
審査員の中には一柳慧氏も居られました。
“特別賞”の特典として、同会場で“個展”コンサートを
開催できることになり、翌年の6月に生涯初の“個展”を
開催することができました。
そして更に、私はフランスの現代作品の紹介と
日本の現代作品の発表の場を兼ねたコンサート・シリーズの
企画化を、東京日仏学院と当時に附属機関として中庭にあった
藤田現代音楽資料センターに持ち掛けて、
<PHONOSPHERE MUSICALE CONCERT SERIES>を、
1987年度から1990年度にかけて4回開催したのでした。
随分とお世話になった想い出のスペースが“東京日仏学院ホール”、
現在の“エスパス・イマージュ”なのです。
東京日仏学院の公式ホームページはこちらです。
http://www.institut.jp/
・・・建築物としても有名な東京日仏学院の外観・・・

・・・エスパス・イマージュの上がる階段付近の解放感・・・

・・・いかにもフレンチ・デザインのカフェ・コーナー・・・

イベント・スペースの想い出を綴ってみましょう。
建築物としても有名な、市谷の坂道の斜面に佇む
軽やかな白亜の建物が、東京日仏学院です。
その中のイベント・スペースは、
以前は“東京日仏学院ホール”と呼ばれていましたが、
リニューアル・オープンして館内全体がモダンな雰囲気に
一新された時から、“エスパス・イマージュ”
という呼称になったようです。
“東京日仏学院ホール”の時代に、
現代音楽作曲界の若手の登竜門としてのコンクール=
「日仏現代音楽作曲コンクール」が開催されていました。
私は、その第3回(1985年)で
3人のファイナリストに残ることができて、
“特別賞”を受賞することができました。
審査員長はトリスタン・ミライユ氏で、
審査員の中には一柳慧氏も居られました。
“特別賞”の特典として、同会場で“個展”コンサートを
開催できることになり、翌年の6月に生涯初の“個展”を
開催することができました。
そして更に、私はフランスの現代作品の紹介と
日本の現代作品の発表の場を兼ねたコンサート・シリーズの
企画化を、東京日仏学院と当時に附属機関として中庭にあった
藤田現代音楽資料センターに持ち掛けて、
<PHONOSPHERE MUSICALE CONCERT SERIES>を、
1987年度から1990年度にかけて4回開催したのでした。
随分とお世話になった想い出のスペースが“東京日仏学院ホール”、
現在の“エスパス・イマージュ”なのです。
東京日仏学院の公式ホームページはこちらです。
http://www.institut.jp/
・・・建築物としても有名な東京日仏学院の外観・・・

・・・エスパス・イマージュの上がる階段付近の解放感・・・

・・・いかにもフレンチ・デザインのカフェ・コーナー・・・
