この記事ではボカし気味に書きました。
またそれをボカして書きます。
例えば座っているとき
仰向けで寝ているとき
側臥位になったとき
それぞれで値が違うことがあるんですよね。
つまり症状も変わるんです。
この部分。
例えば鼻チューブで
酸素吸入をしている人がいます。
吸入量は少なくって
最小限の0.5Lです。
0.5Lで少ないから
外して経過観察をしましょう
ここまでは良いんです。
だけど仰向けでは
外していても酸素98で
苦しそうでもありません。
しかし側臥位になると
吸入器をつけていても
突然80まで下がります。
この場合大事なのは
外した状態で
長時間側臥位にさせないこと。
しかし四六時中付き合えませんから
ムリですよね。
私はよく観察してるから分かるんです。
1日おきに来て付き添えますから
正直頼って欲しかったですよね。
訪問したら吸入器を外していて
壁側を向いて
苦しそうにしていて
正直ビックリしました。
異変がすぐに分かったんですよね。
その前の数日間は細々とですが
やっと会話も出来るようになり
安心した矢先でした。
まぁ私のような人間が特殊ですし、
家族に経過観察の協力を求める
なんてことはあり得ないのでしょう。
そもそも外したことだって
これから先のQOLを考えて
あくまで善意でされたことで
妥当で納得できる判断ですから
一切何も言いませんでした。
抑もこの感想にしたって
誤解があるかも知れないですからね。
でもやはり家族が一番ですよね。
施設の善し悪しは入居者に対する
職員の比率が肝要とか
週刊誌で特集していますが
それでも限界があります。
施設の職員は常に動いていて
あれ以上の配慮を求めるのは酷ですよ。
どう考えたって感謝以外あり得ない。
だけど自分が入居者になった場合。
色々人より考えてしまう方ですし
やはり不満を抱えてしまうのじゃないか。
今はまだ若くて冷静ですが
考えてしまう故
色々と軋轢を起こしてしまうのじゃないか。
まぁそれ以前に検査に対するトラウマがあって
ああいう生活はムリなんですがね。
だから自分はピンコロが一番なんですよ。
それが最も幸せでエレガントで
それ以外選択肢はありません。
ああいう状態にはならないこと。
ここが葛藤ですよね。
果たして機械をつけながら
家族以外の第三者に負担をかけながら
永らえるのが正しいのか。
措置に若干の疑問を感じたとしても
だから絶対に他者には言えないし
書くのも逡巡してしまうのです。
弱い人間ですからガス抜きに書いたけど
趣旨はそういうもので仕方ないよな、
ありがとうという感謝です。
これを第三者が決めたら植松になりますし
昨今の反サロを見るに付け
首を傾げてしまうのは
生産性真理教に毒された人間が
エラソーにご高説を垂れるからです。
趣旨は理解できるのですが
やはりそれって植松と通じ内科医?
自分で決めることですよ。
次点で身内ですね。
もう判断できない場合もありますから。
馬鹿げたお花畑に聞こえるかも知れないが
個々の意識を高めることで
反サロの皆様の不満は
大分解消しませんか?
自分を省みずにご高説を垂れるのもお花畑
植松と一緒や思います。