age
どっちが良い悪いではない
物心つくか付かないかの頃
最も熱中したアニメ
OPは「白いマットのジャングルに~」
勇ましく明るい曲調だったのが
EDは一転する。
これが幼心に強く訴えかけたんですね。
挟まれるアニメも印象的。
「強ければそれでいいんだ
力さえあればいいんだ
ひねくれて星をにらんだ僕なのさ
ああだけどそんな僕でも
あの子らは慕ってくれる
それだからみんなの幸せ祈るのさ」
これプロレスの唄だけど
大相撲にこそ相応しいんじゃないか。
前記事にも書いたとおり
純然たるスポーツではない
何かがあると思うのだよね。
これって典型的な
「普段は相撲を全く見ない」人間の
感想と捉えられるかも知れない。
いやどう考えたって
それ以外の何物でもない駄文に過ぎないが
自ブログだからお気軽に書いちゃうw
でも守旧派とか国粋ちゃうんよね。
大学生の時パパラギを読んで
余計な知識を捨てて
子どもの純粋な目になろうと考えた
浅薄なパッパラパーの意見。
白鵬関の件も
相撲は格闘技なのか神事なのか
これが大きく横たわっていた
と思うんですよね。
こんなニュースが
早速出てくるところを見ると
ますますそう思うんですよね。
彼なりに前向きに
格闘技寄りのSUMOを
追求しようと言うことではないのか。
当たり前ですが
「相撲」の枠組みの中ではムリです。
かつてあったこと。
Wikiより。
12代芝田山(第62代横綱・大乃国)は、同年8月11日に毎日新聞に掲載のコラムで7月場所14日目の正代戦と千秋楽の照ノ富士戦に言及した。
「五穀豊穣を願う神事から生まれた大相撲は本来、力士同士がぶつかり合い、自らの力と技を尽くして攻防を展開するものだ。白鵬の仕切りは、相撲の醍醐味を放棄するようなものに感じた」と述べている。
千秋楽の照ノ富士戦で見せた肘打ちとガッツポーズなどの振る舞いに「いずれは後進の指導に当たるのだろうが、長く日本の伝統と文化を伝承してきた大相撲を変えてしまってはならない。もちろん勝つことは大事だが、礼に始まり礼に終わる精神にはほど遠い気がする」と将来の相撲界に与える悪影響を憂慮している。
これに対し白鵬関は
批判を受け続けた荒々しい相撲は白鵬本人が自分の頭で何を為すべきか考えた上での振る舞いであったといい、怪我に苦しんだ中で「鬼になって、勝ちにいくこと」を覚悟し、それを自分の考える「横綱相撲」として貫いた結果であるという。
どちらの言い分も真っ当だと思うんですよね。
どっちが良い悪いじゃない。
しかし格闘技と神事との溝が
最後まで埋まらなかったんじゃないかな。
私が相撲に夢中になれなかった理由。
やはり若い頃はこういう格式・儀式が
ひたすら疎ましく感じたんだよね。
今は少しずつ丸くなっているし
いわゆる理系;数字ばかり熱心で
いわゆる文系;古典をおろそかにした
己の浅はかさを後悔している。
加えて運動絡みだと
バットを振り回せば何とかなる野球
その他投球にしろ捕球にしろ、
しょーもない運痴にしても
まね事らしき事は出来て
それがとても楽しかった。
相撲の場合四つに取り組んだだけでは
どうにもならない。
その後の身体の動かし方が全く分からない^^;
イヤな記憶もフラッシュバックするのに加え
全く分からん世界にはのめり込めない。
されどスポーツとしての動きとはまた別に
神事の疎ましさを感じつつも
何とも不思議な説明しづらき矛盾した感性だが
前記事で記したように、
輪島や高見山や長谷川に
頭をなでられたら見たかもの相撲、
完全格闘技寄りのSUMOだと私は無理。
でもきっとそれなりに需要も大きくって
面白いんじゃないですか。
当たり障りのないツマランコメですが
敵対視するのではなく
良き相乗効果に期待ですね。
もうひとつ野球に夢中になった理由
こっちの方が主だったかもね。
自分の数字好きをくすぐったから
スポーツでは珍しくそれを楽しめたから。
最初はそれでうまくコミット
できないかと考えましたよ。
しかしすぐにそれは邪道だと分かった。
数字はあくまで個人の楽しみ。
スポーツはスポーツで
意外性を楽しむものだから
数字で縛りすぎるのは
本来の面白さを損なうよなって思った。
以前にも書いたが
野球を見始めたかなり早い段階で
掛布さんが野村収さんから頭部死球を受け
以来データ頼りは止めた
とみたのも大きかった。
意外性とは真逆
プレーヤーの無個性化(アバター化)
を進めてしまう。
せいぜいベスプロで楽しむべき事
現実と同化させるべきじゃない。
だからこそ客観的に見りゃ
ほぼ同じ事の繰り返しなのに
パソコンシミュでは起こりえない
意外性を目撃するために
その単調さを眺めに
球場に足を運ぶんですね。
猪俣隆がダラリと出したバットに
たまたまボールが当たって~
なんてのをいつまでも反芻するわけ。
南海で野村さんの薫陶を受けたエモヤンは
ベストセラーになった
「プロ野球を10倍楽しく見る方法」で
タイガースに来て驚いたと書かれていた。
情報管理に関して南海と差がありすぎて
これじゃ勝てるわきゃないと。
これを見て触発はされたが
やっぱりこのいい加減さで
魅力的な野球を魅せるのが
タイガースの良さだよな
とすぐに思い返した。
数字にひかれたのは確かだが
それ以上に教育的ではない
大らかさに惹かれたのだから。
2度にわたる戦力外通告を受けながら
川藤が19年も存在でき
遠井のゴロちゃんが
20年もプレーできたチーム
それがあるべき付き合い方だろう。
記録マニアとして前人未踏の
宇佐美徹也さん。
正直申し上げて彼は決して
計算に明るい人ではなかった。
しかし今の分析とは
また違う面白さがあったね。
彼はそのことに
若干のコンプレックスがあって
ハイブリッドを望んだかも知れないが
どうしてどうして彼を超えるには
壁があると思いますね。
単なる計算屋や分析屋には
越えられない壁が。
それは彼が野球そのものを
見ることが第一だったこと
その上で愛があり
物議を醸すことはあっても
ポリシーがあったこと。
より精緻なデータ解析と野球のコミット
これを積極的に具現化させたのが
タイガースのアナリスト京大くんこと
三原さんですね。
まぁこれは才能のない者の
ヤッカミに過ぎないんですが
「なんか違うよな」
かつて書いたとおりです。
岡田彰布さんがこれに抗おうとしたのは
理解出来るんですよ。
これも具体例を挙げて
何度も書きましたよね。
これもどっちが良い悪いじゃないですね。
何回も書いたことだけど
本邦のファジーとか
あうんの呼吸とか
悪いことばかりじゃないと思うんだ。
問題はファジーで良いこと
どうでもいいことに目くじらを立て
誰かの号令でひたすら叩き続ける一方で
憂慮すべきこと、肝心なことは
誰かの号令がなければ無関心
スルーしてしまうことだと思うんだよね。

