age
中盤青太字部分追記
ラストにもひと言。
1990年よりちょい前だったか
日曜日のハマスタ横浜阪神デーゲーム
あの頃は関東の試合は
殆ど現地観戦だった。
例によってTBSで頭切れ、尻切れ
おまけに録画中継という
真にしょ~もなき昭和の遺物、
ただ副音声のゲストが
高橋三千綱氏だったので
録画予約してから
ハマスタへ出かけた。
現地観戦から帰って録画を見て
いや聞いて仰天した。
岡田彰布さんの打席の際
脈絡もなく岡田さんに対する
口撃が始まったのである。
聞く人によっては
違うのかも知れないが
私にとってはそう受け取れた。
たぶん盟友村山実監督の
招きだったと思う
その年の春の安芸キャンプ
長嶋茂雄さんが訪問して
大ニュースとなった。
これに対し掛布さんは平身低頭
しかし岡田さんは違った。
と言うかコメントを見る限り
そう受け取れた。
「自分は阪神ファンやったから
別に何とも思わん」
「3塁側ベンチの上から
いつも野次ってたんよ」
こういう趣旨だったと思う。
例によってマスコミの
脚色もあったかも知れないが
さもありなん。
岡田さんの気持ちもようわかるんよ。
ある日の後楽園球場での観戦、
試合そっちのけでネット裏が騒がしい。
長嶋さんが観戦に訪れていたのだ。
ゲームそのものより長嶋さん、
スーパースターゆえですが正直ウザかった。
キャンプも一緒、選手そっちのけで
長嶋さん長嶋さん
あまりにも行きすぎた風潮に
普通の反応をしたに過ぎないだろう。
しかし、これを
いきなり持ち出した高橋氏は
「岡田は何とも思わんと
長嶋さんをコバカにしたんですよ」
「一体誰のオカゲでお前がいられるんだよ」
「長嶋さんがいなきゃプロ野球はない」
「岡田なんて長嶋さんに比べりゃクソですよ」
氏の名誉のため
もしかしたら表現は違うかも知れない。
でもこれに限りなく近かったですよ。
副音声ならではで素晴らしいのですが
ほんといきなりの口撃で
めちゃご立腹であった。
よく『長嶋茂雄の作ったプロ野球』
と言いますね。
セゲヲなるスラングをよく見かけるし
冷めた人も多いのかと思いきや
私より若いと思われる人たちが
この記述をされているのを
沢山見かけました。
確かに長嶋茂雄はエポックだった。
彼の入団以前は
プロ野球より六大学が人気があった。
だからこそエンタツアチャコの
漫才も存在できた。
題材はプロ野球ではなく大学野球、早慶戦。
あれで早稲田や慶應の校歌を
覚えた人も多かったそうだ。
六大学の大スター
長嶋茂雄の出現によって
プロ野球隆盛となった側面は
確かに否めない。
しかしコアなプロ野球ファンは
当時からいたはずで
長嶋出現以前から
戦前なら景浦将や沢村栄治
戦後に大下弘や藤村富美男、小鶴誠
若林忠志にスタルヒン、杉下茂
長嶋と同世代
ちょい先輩に中西太に野村克也
金田正一に杉浦忠に秋山登に稲尾和久
阪神ならば若手の
吉田義男や小山正明に
熱中していたファンはいたのである。
岡田さんは
巨人軍長嶋選手以降からしか
プロ野球を見ていないが
阪神ファンの遺伝子は継いでいて
「長嶋が作ったプロ野球」という風潮には
違和感を抱いていたに違いない。
前記事でも少し書いたが
私は父から話を聞くことが多く
若林と川上の話や
別所毅彦の移籍とか
欽ドン野球に出ていた
怪童尾崎行雄投手とか
遠井吾郎の珍プレーの話とか
高田ファウル、左打者なのに
池田祥浩が三塁側ばかりに
ファウルを打つとか
長嶋のなの字もなかったけど
プロ野球に嵌まったんですよ。
特に滅多に行われなかった
北海道函館のゲームで
川上哲治が苦手としていた
若林忠志から初めてホームランを
放った話は刺激的で
同じように伝説のシーンを生で
見届けたいと球場に足を運んだ
動機の一つだったかも知れない。
自分にとっては江川初登板で
Mラインバックが放った逆転3ランが
一番印象的でしたね。
長嶋、長嶋
これも一種の全体主義ですね
すぐに誰かを神格化し
盲信し猛進してしまう。
反論を一切封じる空気
コロナソードーにしろ
根は一緒なんじゃないか。
かつて竹中平蔵は老害か
と書きました。
彼は昔から変っていないから
老害ではないと主張。
長嶋さんこそ老害じゃなかったか。
かつては突出して輝いていた。
オールドファンが絶賛する
現役時代のプレーは言うまでもない。
第一次政権は「クリーンベースボール」
カンピュータと揶揄されながらも
いわゆる効率主義、川上野球への
挑戦が見て取れた。
しかし第二次政権は何だったんだ。
勝利の方程式などという時代錯誤。
(マスコミはキャッチに飛びついたが
NPBに於いてこの特許を主張すべきは
盛田、佐々木を作り上げた
江尻亮である。)
さらにはFA制ならぬFG制
(フリージャイアンツ制度)を推進し、
プロ野球をつまらなくした。
第一次政権
自身が抜けた途端、王貞治の不振
これを見てONに代る2枚看板が必須とばかり
張本勲を補強した。
阪神移籍が決まりかけていたのに
電光石火はお見事と言ってよいだろう。
高橋一三、冨田勝という犠牲も払い
一年でチームを立て直した。
高橋、冨田は巨人で燻りかけていたが
ファイターズで復活、win-win
プロ野球の移籍はかくあるべし。
しかし第二次政権はFG制
松井の成長を促すため
やはり二枚看板
落合の補強までは頷けるとしても
その後の広澤、清原、江藤、
ハウエル、マルちゃん……
その他にも沢山
正気の沙汰じゃなかったよ。
彼はNPB全体の繁栄を考えていた?
ヘソで茶を沸かしませんか。
プロ野球の太陽ではなくブラックホール
自身のカリスマで不適材不適所の起用、
まさに椰子の実を抱えすぎる
パパラギそのもので
プレーヤーの才能も枯渇させてましたよ。
鉄人の勤続も同じでしたが
神格化されてしまうと
こうした批判が出来なくなってしまう。
当時あった批評もせいぜい
長嶋茂雄が作ったプロ野球だから
長嶋茂雄がぶっ壊すのも仕方ないか
というシニカルなものだったね。
本邦の一番アカンとこ
この日にこんな記事は
気が引けるのだがあえて。
おそらくプロ野球の太陽、
プロ野球を作った男、
その類いの記述で溢れると思うのでね。
彼がプロ野球の看板、太陽
ミスターだったのは確か
でもそれだけじゃぁない
今のプロ野球は
長嶋茂雄の作ったものなのか
大谷翔平は長嶋茂雄なくして
存在し得なかったのか。
野茂英雄なくして
イチローも大谷も
なら大いに賛同できるけれどね。
野茂英雄こそ唯一無二の存在だろう。
本邦は歴史を振り返らなさすぎ、
かと言ってその反動で
一部識者?が主張する
一方的価値観を
鵜呑みにして良いのだろうか。
多大なる貢献者のひとり、
オールドファンを最も熱狂させた
プレーヤーであるのは
異論を挟みませんが
「プロ野球を作った」
これはあくまでレトリックで
あることは弁えるべきだろう。
別に長嶋さんを
一方的にディスりたくって
この記事を書いたんじゃないよ。
この写真ひとつで
何杯も飯をおかわりなら
どんどんすべきだよ。
偶像化しすぎて
まっとうな批判さえ許さぬ
というのは当の長嶋さん本人だって
不本意だと思いますよ。
紛れもなき昭和の
ウルトラエキセントリック
超々大々スーパースター
謹んで哀悼の意を表します。