今回は大学病院

ここに最初に運ばれたのが2010年

事故は2月22日22時22分

父と母が何故だか

冬の夜中に二人で散歩中。

おそらく歩数メドに

達してなかったからか

極めて正確な時間は

任天堂DSの散歩ソフト

歩数が止まった時間で分かったわけ。

 

母がバイクにはねられ

頭部強打と、鎖骨と足の骨折、

3ヶ月の入院。

このときは認知症は発症していない

認知症もこれが

スイッチの一つになったとは

思っているけれど。

任天堂スイッチならぬ

認知症スイッチ。

 

最初は外科だったが

2021年以降は内科、

頻繁に、最も長く携わっている。

幸い2024年は関わらず

久しぶり。

 

大学病院は出入りが激しく

一度として同じ医師に会ったことはない。

3月は異動の季節なので

担当医が途中で代ることも。

 

担当医は40前後が多いかな。

最初に説明する医師は

いわゆる研修ぽくって

すべて30前の人じゃないかな。

だからものすごく腰が低くって

言葉つきも丁寧ですね。

今回もこちらの説明に対し

「よく見られてきた人の印象は

正しいと思いますよ」

 

40前後の医師になると

また変ってきますね。

聞き流しが増えて来ます。

知己のベテラン医師と相談して

答えを用意してきたのに

「その考えは古いんです」

なんて言われたこともあったな。

こちらの質問に露骨に不快さを

態度に表す人もいた。

「黙って従えよ」のホンネがチラリ。

説教してにべもなく追い返したのも

40前後の医師。

 

大学病院のホンネは

「高尚な研究機関だから」

「年寄りは見たくない」

これは良く理解出来るんだ。

複数医師、複数病院で

同義のことを言われたよ。

入院してから10日ほどで

自宅にまで電話してきて

それをわざわざ言った医師もいたんだよ。

こっちゃ通常よりは

それを弁えているつもり

でも言い方ってあるよ。

 

センモンカは他者を罵るのに

「アフォ」ってお言葉を使うのが

たいへんお好きでいらっしゃいますから

そのまま使わせていただきまするが

センモンカアフォなのは

それを理解出来ずに

規制を敷いたことに尽きるよね。

それこそセンモンカのセルフ価値観を

必死にディフェンスしたに過ぎぬわけ、

そこにしか行きようがない

流れを拵えたのはセンモンカ。

しかしそれをよしと高尚なる彼らは

思っていなかったんだよ。

だから「けんもほろろ」に追い返され

こっちゃ更なる坂道を

転げ落ちることとなったわけ。

当時の大学病院側の苛立ちは

断じて患者側責任じゃないのに

綻びによるツケの全ては

患者が背負うんだよ、オモシロス。

 

大学病院以外だと

年輩の医師が多いですね。

けれども、こちら側の説明に対し

「そんなはずはない

息子さんの勘違いでしょう」

数日前のファクトを説明してるのに

そうなっちゃったりするんだよね。

 

だから施設側に泣きついた。

「そちらから説明して

いただけないだろうか」

でも、それは出来ないんだね。

代わりに数日間のデータを

プリントしたものをいただいた。

それを持って行って

説明する以外ないわけだ。

 

大きな手術をするなら

問題があるだろうが

説明したって治療方針は

変らないだろうと思ったので

結局使わなかったが

釈然としないよね。

 

精神的にも金銭的にも

多大な負担を背負いながら

ちびっ子光線浴びちゃって

みるみるちいさくならにゃアカン。

 

まだ他者のことだから

少しでもエントロピーをちいさく

僅かでもよかれと

なんだかんだ前向きに頑張って

サポートしているつもりだが

自分が患者になったら

もう耐えられないね。

 

父母とは違い

サポートする人間は誰もいない。

社会に負荷をかけながら

更に自分も指示通り動けず

相手のいらつきにも

哀しい思いをする

半世紀以上前からずっとの光景、

もう金輪際、一切ゴメン

そうなる前にエレガントに

消えるだけ

それ以外ナシゴレン。

コレは切実だ。

数学のようにエレガントな解法が

導き出せるだろうか。