世の中には「コロナ後の世界」という枠組みでものごとを語ることを拒絶している人たちがずいぶんたくさんいます。「コロナはただの風邪だ。罹かる人は罹る。死ぬ人は死ぬ。それによって世界は変わるわけではないし変わるべきでもない」と言う人たちです。僕はこういう人たちのことを「コロナ・マッチョの人」と呼んでいます。彼らは「コロナ後の世界」は「コロナ前の世界」と基本的には同じものであるし、同じものでなければならないと考えています。ですから、「コロナ後の世界」というトピックでものを考えることを受け入れません。
僕があえて「コロナ後の世界」という演題を掲げるというのは、その人たちとは見通しが違うということを意味しています。このパンデミックによって、世界はいくつかの点で、不可逆的な変化をこうむった。そして、それはこの感染症が終息した後も、もう元には戻らない。僕はそう考えています。
~内田樹
常に少数派だったらしい
内田樹さん。
これね仰ることは良く分かるんですよ。
でも何回か書いたけど、決して私は
『コロナ・マッチョの人』じゃないんだな。
これに対する返信としては
いかにも一般大衆が喜びそうな
多数派の意見ですね、こりゃ。
この多数派を私は
『タイサク・マッチョの人』
と呼びたいです。
大多数の人は
『タイサク・マッチョの人』
タイサクに従うことは
「なんだ、そのくらい」
実害を感じないんですよね
割と理知的な人でさえ
「42万人死ななかったんだから
良かったじゃん」
「良い方に外れたのに何が悪い」
まぁこの類いの人は
W浦さんが二週間でと言ったことを
忘れてるんですが
まぁそれは置いときます。
「そのことで責めるのは良くない」
「誰もカンセンタイサクの仕事を
受け付けなくなりますよ」
と言いたいのでしょう。
こうした「タイサク・マッチョの人」
には何を言っても通じそうもないですね。
私は直後から批判しているんですよね。
「もし何もしなければ」という反実仮想
極端な設定でR0は変わりホーダイ。
この前提で過大な数字を出すのはオカシイ。
この脅しによって生まれる
「こわばった空気」のほうがよほどキケン
2020年4月からずっと書いています。
こわばった空気を醸成させる側は
いつまで経ってもこれが分からない
ご自身が大多数派である
『タイサク・マッチョの人』だと
気づかれることはないし
空気云々と言っても
鼻でせせら笑われるだけ。
私は多分少数派なので
センサーが過敏で
即「これはヤヴァイぞ」
「やられてしまうぞ」と感づきました。
で、身構えてたわけですが
やっぱりやられてしまいました。
それを具に書いているわけですが
おそらく繰り返したところで
通じる事はナッシング。
書けば書くほどシラケ鳥
ミジメ、ミジメwww