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2024年数ⅠA
一応ザ~ッと見てみました。
2022年よりは難易度下がってるけど
それでもムズカシイですよね。
我々の頃(40年前)と同レベルは
最初の整数問題だけですね。
問題としては我々の頃より
遙かに面白いけど
解く側の負担はダンチで大変です。
元記事ではもっと細かく書いたけど
今回は省略します。
読解力を養う意図は理解出来ますが
試験ではどうなのか。
結局マニュアル通り
早く回答する能力を求めているに
過ぎないじゃないかって事です。
現役時代まず選択しなかった世界史も
見てみたけど、やっぱり問題は
面白いですよね。
資料やグラフの読み解きが多い
これって結局は算数の能力です。
数学も我々の時代は軽視されていた
統計が重視されていますね。
しかし、なら何で
コロナの統計偽装は
黙認されてるんだろう
謎が深まるばかりです。
試験って何の意味あるんだろう。
あの共通テストを
「まっさらな状態」で解けるなら
コロナソードーによる「排除」は
起きていないはずだよ。
矛盾に気づくから。
ということは
現状で「解ける」イコール
効率重視の訓練を受けたに
すぎないってことなのか?
テストの問題自体は面白い。
時間を区切らずに考えさせ
正解に近づける人を増やすことに
意義があるんじゃないのかな。
そうじゃないから
問題は必ず解けるように出来ている
という思い込みに凝り固まり、それを
早く効率的に解こうとする
試験脳がコロナソードーの本質。
イスラエルの初期データだけで欣喜雀躍
一番の権威が「打たない選択肢はない」
二重否定を使ってまで
キリっと断言して注射を勧奨するとか
典型だったじゃん。
必要なのは
ゆっくり、たっぷり、のんびり
本質を見極めようとすること
現実社会は即解くことはできない、
いや、それどころか正解が
分からない問題がほとんどだ。
それを認識することが最も大事。
普段から思考を巡らしてこそ
直感的に気づける、謙虚になれる。
いくら試験を変えたところで
「時間」の枠組みを最重要視した競争。
ゆっくり解くことの価値は認めていない。
ゆえに「じっくり考える」習慣が
身につかず、大多数の人は
置き去りにされ諦める。
結果、丸投げ気質が強まり
権威を「盲信」してしまう。
一方で生き残った人達(権威)は
「短時間で解く」ことで
鼻の高くなった人たち。
だからろくすっぽ吟味もせず
下々を従わせようと
傲岸な上から目線になる。
この負のスパイラルが
続いてるんじゃないか。
ゆっくり時間を掛けて
出来るだけ多数が理解をすることに
価値観を求める方向へ転換すべき。
全員が理解出来るとは言っていない。
現況は潜在的に理解出来る人までもが
端から諦念を抱くような教育を
していませんかって事である。
そして早解きこそが至上と
勘違いしたエリートが多すぎて
その弊害がそこかしこに
現れていませんかってことである。
医クラの決め台詞。
「そのときの最良エビデンスで
決めています。数年前と今は違います
遡って責任は発生しません」
あのさ、エビデンスを拙速に盲信して
決めつける短慮、しかもそれを
全体に押しつけるのが大問題なんだよ。
コロコロエビデンスって
変わり過ぎるじゃん。
そんなバカな軽い話はないんだよ。
イロハから学び直した方が良いのでは。
分かりやすい例えだと
血圧の基準値、今は140。
昔は年齢+110だった。
だから高い方が良い高齢者も一律薬漬け
これが認知症を誘引している
可能性は考慮しないのか?
共通テストを解ける人
またあの問題を作成する人なら
自粛、マスク、お薬、
コロナソードーの矛盾なんか
容易に気づけるはずなんだ。
なぜそうならないのか
いやそれどころか
矛盾を拡大するフラジリスタと
それを盲信する構図が起きてしまうのか
真剣に考えた方が良いよね。
スライムはその拡大した矛盾の中で喘ぎ
もはや消える寸前だから
次世代に期待したいな。
愚かな矛盾を拡大するのでなく
出来るだけ小さくするよう
その能力を活かして欲しい。