自分みたいに
いい年こいて独り身の人間
巷間良く言われてること
二次元萌え
それで非モテは解脱する
二次元萌えってないな
幼少時から今に至るまで
ドラえもんのしずちゃんで
萌えたことナシ
これは普通かw
まぁだからこそヒステリーが
問題視する「ゲーム脳」って
多くの場合デタラメで
日常と非日常の区別は
自然に付いているのだと思う
少なくとも自分はそうだった。
ドラえもんの時代と違って
アニメもリアル化
立体化してきている。
最近の萌えキャラって
そっちだよね。
でも自分はもっと萌えないな。
まったく萌えない。
だから究極の二次元
ドット絵にハマッタのかも知れない。
萌える必要はなし
無機質、非リアルだからこそ良い。
これって絵が下手なだけの
ただの言い訳だ罠w
実は不満もあるんだが
敢えて言えば萌えるのは
透明ドリちゃん。
う~ん、これはこれで
キモイ罠^^;
単なる好みの問題で
アニメ萌えとおなじこと。
昭和のドラマはよい。
二次元アニメと違って
やはり人間なのが
あくまで自分にとっては
心地よい。
陳腐なことを書くが
フィルムはよい。
財産を後の世に残すため
意義があろうことは承知しているが
デジタルリマスターは邪道
と敢えて言ってみる。
適当にすすけているくらいで
丁度よいんだよ。
むしろ表現規制で
消音されるのが興ざめ。
すべてそのままがよい。
我々が認識出来るのは三次元。
しかし本当は多次元
四次元どころかそれ以上
何次元もある可能性がある。
その多次元のうち何となくだが
もっとも認識しやすいのが時間。
時間は古いまんまでよいんだよ。
中途半端な技術で
新しくみせたところで
失うことだってあるような気がする。
すすけていることで
非リアルが担保されて
萌えることができるんだよ。
多次元を認識出来る三次元に
近づけようとする
そうすることで心地よさ
安堵感を得ようとする
これは人間の根本的欲求の
ひとつかも知れないが
いたずらにわかりやすさ
整合性を求めすぎようとする
この欲求によって起こるひずみこそが
社会問題と言えるかも知れないな。
その達成のため規制、規制で
外敵圧力を加えすぎている。
不自由を障害に変える
ってそういうこと。
不自由はそのまま楽しむが吉。
★小学校に上がる前
京浜東北線で声をかけてくれた
おじいさんの話を以前書いた。
辛いとき、それを思い出して
何とかバランスを維持したと。
自分は若いつもりでも
幼児から見れば
もうおじいさんなんだろう。
しかしウッカリ同じ事をしようものなら
後ろに手が回りかねない世の中^^;
なんかオカシイ罠
どんどん生きづらくなってるような希ガス