自分は絵で褒められた事ってない

 

だけど10歳未満では自信家だったし

自分が絵が下手だって認識はなく

逆に上手だとさえ思っていた。

自信をなくして絵描き自体が

嫌いになったのは高校以降。

 

小さいときはお絵描きも大好きで

団地の集会所で開かれていた

お絵かき教室に友だちと通っていた。

そのころお絵かき教室のT先生に

言われた言葉は忘れられない。

幼少時に受けたT先生の印象は

おじいさんだったが

多分今の私よりは年下

アラフィフだったろう。

顔はココロのボスに似ていたw

その言葉を聞いたのは

私が本格的に壊れる以前だったと思う。

 

『○○の絵はとやかく言う

大人が多いだろうけど

私は好きだよ』

 

この時は「私は好きだよ」の部分を

素直に喜んで、前段の

「とやかく言う大人が多い」は

真意が理解出来なかった。

自分はこの時点では

とやかく言われているって

認識はなかったんだと思う。

 

これってね大人のホンネ

指導する側からすると

こいつは指導してもどうにもならない

という諦念が混じっている。

誰が描いたか直ぐ分かる独特の絵。

されど絵に関しては

比類なき感性を抱く天才だとか

そういうわけでもない。

ちょい個性がある下手な絵

だから「私は好きだよ」程度の

表現になってるんだよね。

 

「とやかく言われる」だろうけど

気にせずお絵かきを楽しんでね

というエールだったんだろうね。

成人してから思い起こすと

人生そのものに対する

エールだったような

気もしてきたんです。

 

お絵かき教室から何年かを経て

絵に関しても

「とやかく言われる」の意味を

痛感することとなります。

 

高校入学してすぐの生物教師。

提出したレポートがキッカケ。

生物って模写が多い。

急に優等生だらけになった高校で

いきなり異質の絵が混じった。

 

内申書もあって

文武両道の優等生しか入学しない

システム上私のような生徒は

入学できないから

教師はおどろいたんだろう。

内申書が基準以下でも

アチーブで満点なら充分通るけど

そういう選択をする生徒は皆無だし

中学教師も普通はそれを許さない。

 

教師は「ふざけてる」と解釈した。

「5歳の孫でももっとまともな絵を描く」

別にふざけてないと説明したため

もうもはや絵の問題ではない

口撃がエスカレートした。

「職員室の端から端まで歩いて見ろ」

「なんだその歩き方は」

障害者認定があればこんなことない。

しかし9歳の時

認定は受けられるだろうが

受けないで普通に生活した方が良い

ってアドバイス。

その選択自体後悔してないが

普通に生活するのって結構ムズカシイ。

 

自分はなんともないと言っても

激しい口撃を受けることも多く

その度に往生した。

説明しようがなく

ふざけていませんとしか言い様がない。

その度に相手の口撃は

増すばかりだったわけだ。

 

水泳教室のドクターが典型的だったが

「○○病院の※※教授」が

なんともないって診断しました。

日常の中で馴染みながら

解決すべきだとのことです。

 

こう言おうものなら

余計に反発される。

「どこの誰が何と言おうが

何ともないわけないだろう」

「診察し直せ」

「うちでは扱えないからお引き取りを」

となってしまうわけだ。

 

日常がそんな軋轢ばかりで

対処しようがない。

ある意味「怪獣使いと少年」

みたいな世界。

買い物ひとつでも

いちいちトラブル。

 

小学生の時

父からのアドバイスは

「寝違えたって言え」

これも良くなかったな。

だいたい何でデタラメを言って

卑屈にならなきゃいけないのか。

 

普通にって理想論

自分は後悔してないが

今他人様にアドバイスするなら

認定は受けておいた方が無難。

今はそう言う流れじゃないのかな。

 

だいぶそれちゃったな。

お絵かきのココロのボス

T先生の言葉って

含蓄に富んでいたんだ。

だから今でも覚えている。

 

相手が何と言おうが

自信を持ちなさい。

我が道を貫きなさい。

 

これって結構ムズカシイ。

そう思いながら生きてきた?

ハァポックンポックン

T先生の金言

中途半端な活かし方だったけど

少しは頭の片隅にあったかな。

人がどうであろうが

エントロピーをちいさくする意識

それを通す生活

 

でもコロナソードーだけは

どうしようもない

我が道を通す

中途半端な活用さえ

無理な世界だったな。