弱点克服のため
牛乳瓶ケースを運んだことを書いた。

これが更に頑張って
複数の同級生の荷物まで
全部運ぶとなったらどうだろう。
その光景を熱血体育教師が
みていたとする。


彼は「イジメ」と思い
いきなり同級生数人をぶん殴った。
私は慌てて説明をする。
「これは自分の意思です。
鍛えるためなんです」
 

そう主張したところで

信じてもらえるとは限らない。
テレビドラマでヤクザに襲われた人間は
大抵この類いのことを言って
後に大きな悲劇を招き
気づかなかった主人公は自責の念に駆られる。
 

イジメも一緒だろう。
いじめられた側は恐怖で

取り繕う場合だってある。
この見極めって非常にムズカシイ。
熱血体育教師の行為は短絡に過ぎるが
一概に責められない。

要するに「努力」も
TPOを考えなきゃならんって事。
誤解を招くことは慎むべきで
ホントウの悲劇を避けるためにも
普段から紛らわしいことは
止めるよう心がけた方が良いわけだ。
これもエントロピーをちいさくする行為
実際にあったことでそれを学んだ。

しかし問題は上に行くに従って
「牛乳瓶を運ぶ」努力まで
疎ましがられること。
危なっかしい人間のそれを放置して
事が起きてしまったら管理責任を問われる
だから止めて欲しいということだ
これは高校進学と同時に分かった。
思い通りのことをしても
強引に止められるようになった。
大学の体育も同じだった
やっと野球が出来ると
喜んで選択したら
危ないからって拒否された。
これってみな善意なんだよ
だからこそムズカシイ

申し訳ないが老人施設なんて
その典型だろう。
確かにあれだけ多くの人間がいて
管理把握って困難だ。
入居者ひとり辺りの介護職員が
2を大幅に下回っていても大変だよ
それがよ~くわかった。
無理なことはしないで下さい
となるのは当たり前。
そのうち意欲も萎えてしまうが
全体の最適化、要するに
エントロピーをちいさくするためには
これは仕方がないことでもある。
だから私のような見た目と
ギャップのある人間は
出来るだけ避けるべきだと思う。
そうならないような生活を踏ん張り
大往生が理想。

自分はそのつもりであった。
そのためにエントロピーを

ちいさくする意識で
お金も貯めてきた。

ここが重要なことだが
あくまで内的に閉じていなければならない。
簡単に言えばジコマンだが
こういう意識の人間が増えること。
これを他者に強制した瞬間、一転して
エントロピーは増大する。

牛肉を食べないのは勝手

他者に強要してはならない。
ここが根本的に分かっていない。
あくまで独善で閉じていること
これをムリヤリ開いて押しつけるのが
社会運動の正体だ。
シュレディンガーの猫みたいなもん
中身を限定したいと思った瞬間結果は変わる。

コロナタイサクはこの悪しき典型だ。
自分はエントロピーをちいさくしていたから
タイサクに従う必要はありませんし
従いたくもありません。
ですから従わないことに
お金を使わせてください
お金とはエネルギーのひとつで
以前も書いたが省エネは間違いで
エントロピーをちいさくすることに
エネルギーを使うが物理的に正しい概念だ。

ところが、いくら言っても通じない
基地扱いである。
センモンカの定義によれば
一億総えんがちょ

無症状者が多数を感染させ

死者を増大させるとのお触れ
この主張は単なるワガママだと
糾弾されたわけだ。
だからこそ、

センモンカの定義それ自体が
チェリーで謬見であることを
繰り返しデータを示しながら

主張してきたわけである。


何度も繰り返す。
強毒のウイルスなら仕方がない。
強毒は短期で被害が大きく
それ故短期で収束する。
だから短期の被害を最小化するのが
第一義、大命題になる。
だが弱毒はそうではない。
規制をかけ続けることは
エントロピーを大きくすることで
かえって弊害が大きくなる。
こんなのは当然の物理則で
その哲学を自称科学者が
全く持ち合わせていないのが悲劇なのだ。

エントロピーをちいさくする意識
ハリを持ち楽しんできたが
いざとなったとき

これまでコツコツ積み重ねたものは
集団ヒステリーの前では
まったくの無意味、無力であった。

また繰り返す
恐怖の定量化ができていない
扇動者のさじ加減一つで
右から左までインテリまで
みな盲信してしまう。
その恐怖はそんなにデカイですか?
もう一度問い直して欲しい。
ウイルスの恐怖は短期で収束するし
ダラダラ続くと言うことは
それは人類にとって恐怖ではない
普通のことだって事
こんな当たり前が何故分からない

自分は理系とは言えない
きちんと専門をとらず
書いていることは穴だらけ
という自覚はキチンとありますよ。

 

それでも医者ってオカシイ

何故そう思うか、表現を変えながら

書き続けてきた。

もっと説得力を持たせるため
穴は若いとき埋めとくべきだった。
 

勿論文系であるはずはもっとない
読書量不足
要するに何でもないw
20代で勉強しとかないと
年行ってからミジメで後悔する。
自分は9歳までは読書量は多かった。
その余韻だけ、幼児時と同じで

独自の思考を続けてる、
進歩ないツマラン人間だ。
 

専門をとり用語が使えないと

センモンカより

愛球やら変茶血やらが

いくら高かろうが負け犬にされる。

有効数字さえまともに扱えぬ

自称理系の科学者の横暴に

付き合わざるを得ないのは

ミジメでクヤシイだけだ。