太陽にほえろは大変な人気番組。

まだまだジャイアンツ戦中継が

ドル箱だった時代

後楽園のジャイアンツ戦は

日本テレビ独占中継だったが

まだ76年当時は後楽園の

ジャイアンツ戦中継より

金曜20時は太陽にほえろの放映が

優先されていた。

金曜夜の後楽園のナイターは

生中継ではなく

0時近くの11PMで1時間ほどの

短縮ダイジェストで放映された。

 

だからテレビで見られない

金曜のチケットを

最初に抑えるのが先決。

それでも土日より抑えやすかったけどね

 

友人はテレビで太陽にほえろ

私は後楽園球場って結構あったね。

当時は家庭用VTRが

まだ普及していなかった。

 

76年8月20日はナイターがなくって

ジックリ太陽を視聴できたのだと思う。

 

 

1979年6月1日金曜日

江川卓初登板の前日

この3連戦は全部現地観戦

珍しいタイガースの3連勝

この日は江川卓因縁の

小林繁が完投で4-1

 

この日は太陽にほえろ357話

「犯罪スケジュール」放映のため

ナイター中継なし

球場に行かなきゃ

具に見ることは出来なかった。

 

その3年後

82年4月16日金曜日

タイガース3-2のリードで迎えた

9回裏2死2塁、松本匡史の右前打で

同点を覚悟したところ、

北村照文さんが見事なレーザービーム

代走の二宮至を刺してゲームセット!

ビジター故

サヨナラ勝ちは絶対見られず

サヨナラ負けばかり見ていたw

私にとっては最も劇的な試合。

 

このときは太陽にほえろは

放映を飛ばされている。

79年10月の金八登場以降

人気に陰りが見え始めたんだね。

 

余談

それと大事なことだが

この時代の野球中継は

頭切れ尻切れが当然だった。

タイガースの地元サンテレビのような

完全中継は画期的だった。

 

私は砂嵐の千葉テレビで

サンテレビの中継を見ていた。

普通は完全中継だったのだが

時折雑音が入った。

雑音というのは揶揄で

当時のUHFの受診事情が

劣悪だったことを指すのではない。

 

日本テレビのジャイアンツ戦は

19時から始まり(初期は19時半)

20時54分で打ち切られる。

その後「リレーナイター」と称して

千葉テレビに引き継がれる仕様。

だから後楽園でゲームがあるときは

誠に腹が立つことに

タイガース戦は突如打ち切られ

見たくもないジャイアンツの試合が

乱入してくるって訳。

この時ばかりは

「千葉テレビをご覧の方は

20時54分でお別れになります」という

西澤暲さんや松島武雄さんの

流暢な声を聞くことなく

まさにブツ切れでいきなりジャイアンツ。

そのうちトップナイターと称し

18~19時までジャイアンツ戦

タイガースは19時からってこともあった。

にっくきジャイアンツwww

 

現地観戦に拘ったのは

テレビ中継によるストレスが

大きかったのもあるだろう。

そのうち現地の騒音と視界を遮られる

ストレスの方が大きくなったんだけどねw

 

その時代を経る

肌感覚で経験しないと

分からないことってあるよね