昨年4月に書いた記事ですが
アクセスが殆どなかったので
再掲します
★岡田監督がベンチ内で
データを見るの禁止
ってお達しを出して物議をかもした
彼に言わせると
「そんなん、あらかじめ
頭に入れとけいうねん、お~ん」
なかなか面白いが
これには伏線がありそうだ。
★83年7月10日
甲子園広島戦、守備中に
岡田さんは右ハムストリング断裂
という大けがを負い
一気に野球生命の危機に
立たされてしまった。
それまで3年間のホームラン数の推移は
18,20,14と長距離砲を期待されて
いたのにしては物足りなかったが
4年目のこの年は
66試合消化時点で既に17本
掛布雅之の15本を抜きチームトップ
リーグトップの
山本浩二の23本には及ばないが
持ち前の長打力が
ようやく開花したかと
思われた矢先の残念な出来事だった。
(※これに関するwikiの
数字は誤っています)
で、大けがに至ったいきさつ。
打者は外国人にしては非力な
右打者アイルランド
データでは1,2塁間の当たりが多いので
彼はベンチ(名守備コーチのKさん)から
そちらよりに移動する
シフトを指示された。
だが、彼は大いに不満を感じながら
コーチの指示に従っていた。
『江川や遠藤や小松ならともかく
マウンド上の工藤の球速やったら
1,2塁間なんか
絶対とぶわけあらへんやんか。
思いっきり引っぱられるから、
二遊間を固めた方がええねん』
岡田の直感の方が正しかった。
アイルランドの打球は
元々岡田の構えていた
守備位置にとんだ。
岡田の感性を尊重していれば
真正面のセカンドゴロである。
「ほらいわんこっちゃないねん」
おそらくその思いを抱きながら足を運び
打球処理の際、
やわらかいグラウンドに
足を取られてしまい、
股裂き状態となり
二頭筋断裂の大けがに
繋がってしまったわけで
本人もさぞ悔しかったことであろう。
★想像するにこれが岡田さんが考える
データに頼りすぎる大きな弊害で
深く印象に刻み込まれたのだろう。
しかし見方を転じれば
こうも捉えられないか。
「コーチの指示に、
納得のいかない状態で
従うのは好結果を
もたらさないどころか
悲劇を生む場合だってある」
★これがまさにサトテルの陥っている
状況のような気がします。
前回村上豊さんの技術書の話を書きました。
86年秋の日米野球。
この年から単独チームではなく
日米双方オールスター選抜で7試合。
ところが、圧倒的なパワーの差を
まざまざと見せつけられました。
アメリカの本塁打は19本
日本はこの年で引退の山本浩二が6戦目で
やっと初ホーマー、それを含め2本だけ。
西武球場でこの年も三冠王落合選手の
完璧に捉えたかと思った
お得意の右中間への飛球が
フェンス際で力なく失速したのが
今でも目に焼き付いています。
丁度この直後だったか
村上さんの打撃フォーム解析が
ある野球雑誌に掲載されました。
申し訳ないが要するに
どんでん打法、前さばきの否定です。
「力の劣る投手なら楽に飛ばせるが
超一流投手には飛ばせない」
日米選手のフォーム比較。
何故飛ばないのか、メカニズムの違い。
岡田さんはこのシリーズ
単打ばかりであったものの
16打数8安打で日本の首位打者でしたが
それでもやり玉に挙げられていました。
当時は異論でしたが、
近頃のMLBの趨勢を見る限り
村上豊さんの分析は画期的だったと思います。
打撃理論はそちらよりに流れています。
翻ってMLBでも本塁打王を取れるような傑物が
出現しました、隠世の感があります。
目指せ大谷、の若者が
増えるのは当然のことです、
ですが「それを彼は特別だ」から
マネしたらいけないのよ、お~ん
勿論二刀流は特別ですが、打者としては
彼に続く若者は出現しやすくなりました。
ブレイクスルー、変な固定観念や
コンプレックスは取り払われたのに
違うアプローチを受け容れないのは
如何なモノか。
未だにNPBの重鎮の多くは
それを認めたくないようですが
サトテルは結果を残していたのです。
繰り返しますが左打者のルーキーから
連続20ホーマーは80余年の歴史で初
しかも左には大ハンデの球場です。
2年目はスラッガーとしての指標
長打率、OPS、打点、犠飛、二塁打、三塁打
全てリーグ上位でした。
牧秀悟と比較されますが
パークファクターによる差が大きすぎる。
甲子園以外での成績を単純に2倍すれば
打率.290台 HRは30本になるのです。
これで全否定はないでしょうよ。
一見野球理論に則った指示でも
本人は合点がいかない場合だってあるのです。
それに疑問を抱きながらのプレーは
良からぬ結果をもたらすことを
どうか思い起こしてくださいよ
★矢野さんのサトテルに対する接し方
『あんなぁ、こんなんムダやと
思うてる練習ってあるやろ』
サトテル、言いづらそうに
「ハイ」
『でもなぁ、そう言う練習の中にこそ
後でそうだったのか、って得られることも
あるかもしれへんのやから
その辺もうちょっと考えてもええんちゃうか』
大体こんな感じ。
今に即した操縦法。
基本自分で成長だが、COREならあるとき突如
ハイブリッドで覚醒を呼ぶかも知れへんよ。
★岡田さんは、大けがの翌84年は
足の負担を考えて外野にコンバートされました
しかし明らかに外野守備に身が入らず
どこか納得がいかず
棒立ちにも見えた岡田さんを見て
85年に就任したムッシュは
即座に二塁手に戻しました。
適正以前にやる気を促し再生するためです。
勿論それに応えた岡田さんも立派でしたが
こだわりのないあっさりとした真弓さんが
二塁から外野へのコンバートを
了解したからこそだったのも忘れないでください。
逆の立場だったら絶対納得していないでしょうw
本人はそんなことは微塵も感じてないようですが
随分岡田さんは大事に扱われてきたのです。
ちなみにバースさんは、岡田二塁復帰に
納得がいってなかったようで
バースの日記にはチョコっと記されています よ