2月9日
所詮蟷螂の斧
とは言え思うところがあり
最後の抵抗とばかり
記事乱発中ですw
なかなか目に入らないと
思いますが
お時間のあるときに
目に触れることがあれば
ウレシイです^^
★2月9日14時病院より帰還。
2月7日に退院したときから
遠くない時期にまた入院と
いうのは充分想定できた。
しかしどこかにまだ
淡い期待はあった。
施設にいる限りは
長時間接することが出来て
何とか色々コミュを
試そうかなと思っていた。
退院当日は疲れていて
眠りたがっているようだから
無理はさせず1.5時間弱
スキンシップだけで切り上げた。
会話はまったく出来なかった。
昨日2月8日は様子見だったが
16時過ぎに嘔吐したとの連絡
滞在僅か一日
結局本日2月9日
母とコミュを取る機会が
まったくないまま再入院。
考えてみれば現施設に
1ヶ月以上連続滞在できたことは
一度もなかった。
これではど~しよ~もない。
そうなる前に入れられなかったのが
つくづく悔やまれる。
本日の病院側からの説明も
十分予想できた。
説明は私より一回り以上
お若いであろう院長先生。
ロンブーの田村淳氏似。
快活でお話が分かりやすい。
もう施設帰還は難しいだろうから
このまま長期入院になるだろう。
生物として正常に生き続けられる
閾値というのがあって
母はその限界を
突破してしまったのだろう。
しかしそれを著しく早めたのは
カジョータイサクである
これは再度強調しておきたい
残念だけれど
もう私の役目は
お金以外終わった。
病院だから施設のように
長い面会は出来ない。
それではコミュを取るのも難しい。
念のため病院側に尋ねてみたが
今後規制が緩んでも
15分の面会時間は動かない。
母とコミュを取る機会は
おそらくもう2度とない。
長期入院の出来る病院って
駅前とか交通の便の良いところには
ないみたいですね。
大抵が人里離れた山の中。
車が運転できれば25分ほど、
タクシーで3500円。
そこまで行って
コミュが取れないのは哀しいけれど、
今後はそれでも
行かなきゃならないよね。
坂の多い横浜市、小高い丘の上
辺鄙なところだが
母の青春時代の思い出の地の一つ
日吉の大学へ車で15分弱くらい
これも何かの縁なのかもな。
3年前の5時間放置が痛恨で
結局私がムノーで守れなかった。
そこからは負の無限スパイラル。
今後は老衰、
(いや現時点でも充分老衰だけど^^;)
更なる老衰を見守る以外、術がないな。
母もそれが何となく
分かっているのだと思う。
病院に行くまで施設の車に同乗した。
普段は落ち着いて動かないのだが
今日は私が問いかけると
盛んに手を動かした。
頼りねぇバカ息子に
何か訴えたかったんだろう。
あの仕草は一生忘れないと思う。
「もういいんだよ」と
言いたかったのかな。
あまり動くと危険なので
分かったよ、動かなくて
『もういいんだよ』と
言ったのは私だったけどね。
車は結構揺れて
そのあと私のジャンパーに吐瀉。
苦しい中精一杯だったよね。
勝手な解釈だけど
充分わかったよ。
実質お別れの儀式だった。
勿論再度退院できて
施設に戻ってくれれば
またワンチャンスが与えられて
それ以上の喜びはないのだけれど
こちらから無理強いは出来ないよね。
母が施設に帰れないとなると
問題は父だ。
果たしてこのままで良いのか。
最適解が全く分からない……
相談しようもない