この視点で語られてるのって
まず見たことがない。
コロナソードーを冷静に分析している
優秀なライターさんでさえ
プロ野球ののべつまくなしの応援には
肯定的である。
だ・か・ら、所詮サタンのネゴトです。
コロナソードーで
見直されるかなと思ったこと
されど1ミクロンも変わらなかったこと
再掲
ガッカリの一つにプロ野球の
『のべつまくなしの応援歌』がある。
コロナソードーを機に見直しの声が
増えるかと思いきや、さにあらず……
私のように少数派の
『マスク全体主義に
疑義を呈する人間』でも
皆さんこれには肯定的なのである。
それどころか、
むしろ理不尽な規制の象徴と
捉え反発していて
早く歌いたい、歌わせろだって。
ちょっと待ったぁ
ここでよ~く考えて欲しい。
頻繁に出てくる『マスク否定派』
のロジックの一つに
「(未だにマスクをしているのは)
日本独自の奇習」で
「アメリカのボールパークでは
(マスク)だ~れもしてないじゃん」
というのがある。
これって全く一緒じゃないのか。
()内を
「のべつまくなしの応援歌」に
置き換えてみよう。
見事なブーメラン
ダブルスタンダードになってるんだよ。
想像力を巡らして欲しい。
マスクと一緒で
「のべつまくなしの」
応援歌も
昔は普通ではなかった
(迷惑行為と思われていた)
奇習が定着化したに過ぎないんだよ。
苦々しく眺めていたものが
あれよあれよと瞬く間に
広まってしまった。
当初は苦言を呈する人も多く、
それを受けて
下田武三コミッショナーは
応援倫理三原則を掲げ、
規制に乗り出した。
ところが、儲かる球団側の
利害関係もあってか
猛烈な反発を受けて
それが全く出来ない空気に
いつの間にか支配されてしまった。
これも民意、民主主義なんだろうかね。
単調な応援歌に対し疑問があり
野球ならではの間(ま)、
それを活かした
メリハリをつけた応援で
野球を楽しみたい人間にとっては
単なる騒音なんだ。
それを『強要』されて
たまらなく不快なのも
「コロナシグサ」と
全く一緒なんだよ。
ほんのちょっとだけ不自由を
抱えた私にとっては
双方息苦しくってタマラナイんだな。
決して『自発的な』声出しを
否定しているわけではない
のでご留意いただきたい。
今球場で楽しんでおられる多くの方は
端からあの一見楽しげな空気に
馴染んでこられたわけだから
疑問を全く抱かず
appreciateしてしまうのは
仕方ないとは思う。
闇雲に否定しようとは思わない。
しかし、一部の人間の
ワガママやオシツケで
ヘンテコなものが広がって
「常態化」していくという
典型的実例の一つだったことは
理解して欲しいな。
マスク否定派の常套句
そのまんま使わせていただくが
同調圧力が大好きで
そこでシコーテーシしてしまう
彼らが声高に批判している
これぞ日本人ならではの現象
なんじゃないか。
私は関東の阪神戦39試合をほとんど
現地観戦する熱心なファンだった。
常に一人観戦で、高校や大学受験の年
でもそれを止めなかった。
チケット入手が困難な後楽園球場の場合
開始前から6時間も行列し席取り。
入場してから更に2時間練習
を見ることも多かった。
(開門の16時は
ホームチームの練習が終わり
ビジターのタイガースの
練習が始まる時間)
しかし開始直前ノッソリと現れた
オーエンダンの横暴で
席を横取りされたり
非常に不快な思いもした。
オーエンカを指揮してくださる
身分の高きオーエンダン様に
おかれましては
下々はどんな指示にも従えってか。
あの(私にとっては)メイワク行為が
広がる過程を具に見てきたわけだが
21世紀の今になってまさかのタイサク
集団ヒステリー・同調圧力で
同じような思いをしようとは
まったく想像がつかなかった。
何を快適・不快に感じるかは個人の自由。
それぞれ違うんだ。
だから今までと違う新しい風習を
押しつける場合
せめて想像力を巡らして欲しいな。
決めつけの全体主義は
良くないアルよ、うん。
応援歌の論法、
みんなが楽しいから
いいじゃん。
ついでに加えれば
野球のプレーを見るより
自分で騒ぐ方が面白いじゃん。
球音を楽しむなんて寝言、
知ったこっちゃない。
マスクやワクチンの論法、
効果が絶大なんだから当然。
ついでに加えれば
コロナ罹患の苦しみこそが
人生最低最悪、
タイサクで死のうが苦しもうが
そんな寝言、知ったこっちゃない。
(いくら何でも
そんなこと言ってないでしょ
と思われるかも知れないが
ツイッターの医クラは
こう言っているのに等しい)
似たような独善的ロジック。
双方とも間違ってるんだよ。
みんなが楽しい、効果が絶大ってね
これはちょっと前に書いたけれど
予め不都合な人を除外し
知ったこっちゃない、
と無視するトリック
ザ・統計サギなんだな。
ここ4年のソードーも
ただ何となく空気によって
疑問を抱かずに瞬く間に
シハイされてしまった。
のべつまくなしの応援歌を肯定した
国民性だからこそ、
必然の現象が起こったに過ぎない、
と私は捉えているので
冒頭の反応には違和感以外ないのです。
知らず知らずに
大きな声の人の論法
除外に気づかないで
絡め捕られているのです。
それがもたらす不都合も多いことを
私はマスクも応援歌も
やめることを強要はしていない。
申し訳ないが冷ややかに見ている。
しかし、逆はどうだろう。
突如セイギの衣を纏って
強要してくるんだな。
づかづかとセイギのお面を被った
狂信的な連中が踏み込んでくる
「自分はしたくないのですが」
「被害があるので勘弁してね」
と訴えたって
『オモシロス』『無知』で
コバカにする
強引に巻き込む
これが問題なんだよ。