12.31 157時
1.6 昼過ぎ 記
2024年22個目の記事らしいw
父の施設に行くたび
考え込んでしまう。
ラウンジに大画面テレビがある。
ラウンジにいる殆どの人が車椅子。
本日は10人くらいいらっしゃったが
会話を交わすことはない。
テレビを見ている人は半分くらい
残りはうつむいているか
口を開けて上を向いているか。
父の隣にいた女性お一人が
念仏のようにずっと独り言って状態。
父は気の毒がっていた。
申し訳ないが、
これじゃ頭に良いわきゃないよ
これでは退屈するのは分かる。
以前にも書いたが
生命の維持が第一義になる以上
施設の対処は完璧で
あれ以上求めるのは酷である。
彼らは常に明るく振る舞っており
その姿勢には頭が下がります。
父は入居者の中では状態が良い方
入院中の母が普通くらいかな。
母は見た目だけだと他の入居者より
シッカリしているように見える。
車椅子だがシッカリ前を見据えているしね。
だが言葉を殆ど発さぬ母は仕方ないが
父にはあれじゃ気の毒だ。
どうすべきなのか考えてしまう。
母と父が一緒にいるためには
現況以外他の選択肢はない。
しかし母が入院ばかりで施設に
いないことの方が多い以上
果たしてこのままで良いのか。
本当はグループホームのようなところで
2人で入居するのがベストだったのだろう。
その選択肢を考える暇もなく
状況をここまで悪化させたのは
紛れもなく
カンセンタイサク
なのである。
思い出すのも腹立たしいが
たかが1つや2つの要因じゃない。
とんでもなく酷いことが
余りにも多すぎた。
このことは大いに反省していただきたいが
セイギのミカタ月光仮面にゃ
わっかんねぇんだろうな。
オモシロスだもんな。
施設の対処は事後処置としては
非の打ち所はない。
しかしやはりそのような状態に
ならぬよう個々の努力が
最も肝要なんじゃないか。
カンセンタイサクは事後の
医療現場の負担を
軽くしようという発想。
各々が医原病を意識し
医療に寄りかかりっぱなしでなく
健康を心がけるのも
事後の共助や公助を減らそうとする思想。
だが根本的に違うのは
前者は他責で社会に
莫大な負担を掛けるのに対し
後者は少しずつの自責で社会の
負担を大幅に減らすこと。
これこそを自助という。
こんなことを書くと
まるでどっかの政治家のようだが
それは全然違う。
彼らは自助で精一杯努力してきて
最終的に公助や共助を必要となった
人間にまで一律に排除の理屈を働かせる
のが問題なのだ。
勿論公助と共助も必要不可欠だが
それ以上に自助は絶対に必要。
この場合の自助は自分のためならず
巡り巡って社会を潤滑に動かし
下手な公助や共助より実利をもたらす。
それを全否定し、コバカにし、
全ての人を不幸に巻き込んだのが
カンセンタイサク
全て他者に丸投げは良くないよ。
丸投げは物理法則に反している。
物事は放っておけば
必ず秩序から煩雑へ移行する。
これをエントロピー増大という。
秩序を保とうとするには
膨大なエネルギーが必要。
人類の闘いは結局これに尽きるのだろう。
しかし大規模に秩序を保とうとすれば
エネルギーは無駄に費やさざるを得ないし
小規模に秩序を保とうとするなら
エネルギーは効率的に使える
これは感覚的に簡単に理解ができないか。
例えばこの4年のカンセンタイサクだ。
勿論致死率の高いものならある程度の
規制はやむを得ないが
COVID19がそれに当たらなかったことは
散々書いてきた。
ユニバーサルうんちゃらだと
社会全体に負荷をかけることで
社会の彼方此方に綻びが生じて
そのために苦しみあえぐ人が
耐えなかったわけだ。
あくまで個々のやりたい人間が
タイサクをすれば良いだけで
他人にまで負荷を掛ける必要はない。
これを自助という。
一方で普段の健康についてはどうか。
あまりにも他者に依存していないか。
自助を怠っていないか。
何かあれば直ぐ病院、すぐお薬。
だからこそ、恐怖の号令一つで
見るに堪えぬ醜悪な4年間に
繋がったと言えるのだろうね。
究極の他責思考がここで炸裂してしまった。
病院ガ~お薬ガ~政治ガ~
それ以前に自助
カゼをひいても重篤化させない
普段の心がけって大事だろうよ。
これがスッポリ欠けているから
あらゆるところで
軋みが生じるんじゃないですか。
最近斎藤幸平氏の
「人新世の資本論」が
ベストセラーだという。
帯を見ると
『人類の経済活動が
地球を壊す「人新世」の時代
未曾有の豪雨やスーパー台風
異常な熱波。
未知の危険なウイルスも
自然の乱開発で広がった。
気候変動もコロナ禍も
「資本主義」が犯人だ!』
笑っちゃうな。
どこかのケツの青い中学生が
書いたような文章。
40年近く前、これに似たようなことを
卒論に書いたオヴァカな大学生がいた
思い出すのも恥ずかしいがw
大仰に『○○ガ~』
犯人だよと決めつける
『武漢ガ~』『政府ガ~』
ありがちなネトウヨやリベラルと
ほとんど変わらん感じがするね。
要するにですね
大きな物に寄りかかりながら
秩序を保とうとする幻想に取り憑かれた
個々の人間の小さな矛盾が
より大きな耐え難き矛盾となって
襲いかかっているわけですよ。
煩雑な方向に向かうのは
物理法則なのだから逆らいようがないし
やむを得ない、肝要なのは
煩雑に向かう上での
綻びは小さな範囲で解決
小さなエネルギーで効率よく
秩序を保とうとする姿勢を
思い返さない限り
大きな悲劇は今後も
続いてしまうのですよ。
タイサク以外で分かりやすい例、
太陽光発電
小規模で補助電源として使うのなら良い。
大規模に主電源に使用しようとしたら
大きな矛盾が生じる、
広範囲の自然破壊に繋がる。
これが物理原則じゃないのか。
「自然に優しい、弱者を守ろう」
誰しもが反発できないスローガンを抱え
美名に酔いながら同じ間違いを
繰り返していまいか。
実際に起こっているのは
大規模な自然破壊と弱者の排除
いい加減に気づくべきだよ。
太陽光さえ反発の多くは
「中国ガ~」、嫌悪感に
結びつけた物だらけだ。
科学がないよね。
物理法則を無視した
傲岸なマッドサイエンティストの
はんかくさいセイギ
あっという間にセンノーが行き届く
こんなものに振り回されるのは
もうまっぴらゴメンだな