よくある議論
掛け算の順序について
9×3=27と答えたらバッテンつけられた
これってオカシクないですか?
という問いかけ。
×をつけることを否定する意見の雛形
掛け算の順序なんてどうでもいいじゃん
答えはあってるんだからさぁ
×をつけることを肯定する意見の雛形
これは文章を数式化する訓練なのだから
掛け算の順序は大事なのだ
私はどちらにも違和感がある。
まず掛け算の順序は大事と肯定する側
教師と名乗る人の多くが
3×9は 3冊×9=27冊
9×3は 9人×3=27人
単位が冊と人で変わってしまう
だからバッテンだと主張している。
順序を早い内にたたき込まなければ、
伸び悩むと持論を展開している。
だがこれは根本的に間違えている。
正確には1人につき3冊配るのだから
単位は3冊ではなく
3冊/人である。
従って正確に計算式を書けば
9人×3冊/人=27冊
3冊/人×9人=27冊
どちらも単位は一緒。
こんなデタラメを教えるから
dimension(次元)が
理解出来なくなるのだと
思いますね。
小学2年でdimensionを意識しているか
どうかは分からないが、無意識のうちに
そう処理している可能性も高く
この教育法はその才能の芽を摘む
非常に愚かなものである。
dimensionを意識しなくとも
「文章題を頭柔らかく変形」して
9人の人間に1冊ずつ配ることの
3倍なのだから、9×3=27
と表現しているのかも知れないよ。
これも無意識に理系思考をしていて
伸びる要素のはずなんだよ。
分かりづらい日本語を
分かりやすく翻案
あるいは変形するのって
最も大切な
『数学的能力』
なのですよ。
『視野の狭い大人たちほど醜いものはない
真綿で子どもの首を絞めている』
それとも小学校の先生たちは
行列や四元数まで意識して
指導してるのかにゃ
上に立つ人って、どうしてこうも
くだらない、理論の微塵もない
規則で縛るのが好きなんだろうね。
小学からこれじゃ
先が思いやられるよ。
さて、
掛け算の順序はどうでもいい派
これってね、数式をツールとして捉えて
何でも効率的に解けりゃ良いじゃんか
っていう二進の会がしている主張と
通底するんだよな。
最も大事なのは
『思考のプロセス』
実体験からも申し上げられるが
これをとことん等閑にしていないか?
小学から高校まで。
一番大事なのは「なぜ?」を問うこと。
この場合バッテンを闇雲につけるのではなく
何故、そうしたかを問うこと。
教師の側にだって面白い発見があるかもよ。
それがゴッソリ抜けてしまっているから
早い段階で数字アレルギーを
量産してしまうし
一方で生き残った者たちは
数字の意味を考えずに
ただ効率的に答えを導くことに
腐心してしまう。
計算屋と証明屋であふれてしまう。
これを放置し続けた挙げ句が
42万人や18,622人
でドヤ顔する科学者の出現、
それを盲信してしまうセケン
その負のループを呼び込んでいる
私はそう思いますね。
あのセンモンカたちは
文章題の変形が出来ていない。
つまりワンイシューに固執する余り
本来の正しい命題「国民の健康」を
追究していないし、その結果
表向きの命題
「感染を減らす」「コロナ被害を減らす」
さへ適えていない。
私はどちらが良いかと問われれば
絶対にバッテンはつけるな派。
理想は個々に問うことだが
それがムリでマニュアル化するなら
つけないと決めた方が遙かに良い。
バッテンをつけたって、現況を鑑みるに
リテラシーの養成に一個も役立ってない。
それならば小数とはいえ
「これまでは挫折させてしまった
かも知れない知性」
を呼び覚ますことに腐心すべきだろう。
だそく
分割短文掲載したがアクセスないので^^;
今必要なのは、感性の鋭い天才だよ。
マッドサイエンティストに
おかしな算数に
あっという間に容易く支配されちまう
この救いようのない現況
閉塞感を打破したいな。
あれほどまでにロジックの欠ける
センモンカの言いなり。
それをいくら訴えても通じないで
生活は悪化し続ける虚しさ
もういい加減にして欲しいな。
批判覚悟で書くけれど
政治屋以上にデ~タラメだよ彼らは。
心身の健康こそが源で
それを失っちゃ元も子もないんだよ。
政治屋は間接責任はあるが
直接責任は医療である。
今回の記事はその氷山の一角だが
残念ながら教育もオカシクって
根本的に何かが欠けた
頭の悪い人間が
上に行けて訓示を垂れる
これが少なからず起きている。
そろそろそこに気づいた方が
良いと思うのだけど^^;