『生きがいを持つのは良いこと』

誰もが否定しないスローガンであるが

一筋縄では行きませんよってお話

 

極めて綺麗な言葉だが

「生きがい」とは果たしてなんなのか?

 

ヘビ一所懸命説明しているのだが

リアルでもなかなか通じないのがツライとこ。

 

父の場合明らかに

何かを始めたがっているのは分かるのだが、

それが何かはサッパリ

分からないのが問題なのだ。

 

言葉では具体的だ。

「パソコンの勉強がしたい」

「それ絡みの本が読みたい」

今日も施設のベッドの上で

そう言われた。

 

更にこうも続けた

「そのせいでこないだ

危うく殺されかけた」

そのせいというのは

彼の中にある妄想

パソコンによる支配を逃れる

準備を怠った為と言うことなのだろう。

表現は違うが

「パソコンを勉強しないと

困った事が起こるんだ」

これも同じ事だろう。

こんな具合に家にいるときから

堂々巡りなのだ。

我々の考えている「パソコンをいじる」

とは全くの別物になっているわけだ。

 

父は元エンジニアでパソコンオタで

1月末まではこちらが促さなくても

パソコンはいじっていたわけである。

それが突如いじらなくなった。

 

それがいじりたいと

自分で欲するのは良いこと

私も喜んで言われるがまま、

本を与えても

パソコンのスイッチを入れて

前に差し出したところで

「これは自分のしたいこととは違う」と

にべもなかったわけだ。

それで延々と説明が始まるわけだが

こちらにはサッパリ理解が出来ない。

相の手を入れながら

『こういうことですか?』

「いや違う」

そのうち深い溜息をついて

「もういい」

となってしまう。

 

で、常に「新しいパソコンを買え」

「パソコンはもう届いたか?」

と真夜中に連日尋ねてきたわけだ。

何回も書いたがw

我が家はパソコン伏魔殿

これ以上増やしても仕方ないのだが

父は従来のパソコンでは絶対に納得しない

彼の欲するパソコンとは一体なんなのか

一体何がしたいのか

全く把握出来ないのだ。

註:12月以降、まだ自ら起動していた頃

ノートパソコンは2台買い与えている。

 

食べ物以外は父の要求に

言葉通り応えてもどうにもならんわけだ。

だから私は考えた末、敢えて、すぐには

パソコンを持ち込まなかったのだ。

 

おそらく今後も同じ事の繰り返しになるはず。

父がパソコンを欲しがっていますと訴えられて

持って行ったところで「違う」となるか

単に他の行動を阻害するだけの

置物と化すだろう。

 

本日「フラワーアレンジメント」とか

どうされますか?と尋ねられた。

私は『男性も参加されてるんですよね?』

答えはyes

『それなら促せば参加すると思います。

費用は構いませんから

本人が嫌がらなければ

なんでもチャレンジさせてください』

と説明をした。

 

これは家では絶対に出来ないこと

施設でしか出来ないことで

前向きな刺激を受けること、

これまでなかった新しい挑戦で

従来の価値観から生じる

「強迫観念」や「妄想」が

少しでも消えるのを期待

してのことなんだけれど

それが上手く通じているかどうか。

 

父は技術屋さんで

特に技術関係のアップデートを怠ることで

世に取り残される「脅迫観念」を

持ち続けているようだ。

だからそこは未だに前向き

いや脅迫観念だからむしろ後ろ向き

というべきなのかも知れない。

 

父の中でのアップデートなるものが

極めて「抽象的」「現実離れ」した

「妄想」に依拠したものだから

どうにもならないのである。

 

だからここで思い切って

「技術」とは全く関係のない

フラワーアレンジメントなんか打って付け

と言いたいわけである。

現況では前向きな生きがいとは

必ずしも言えなくなっているパソコンより

新しい前向きな挑戦。

しかも、これは自宅では絶対にできない

施設ならではのことなんだ。

 

なるべくラウンジで他者に接して欲しい

もう今は操作が覚束ないのに

パソコンがあると部屋に閉じこもりっきり

になったりしないか。

自宅でもこちらが電源を入れて画面を見せても

「違う」と見向きもしないのに

閉じた状態のノートパソコンをやたら

ベッドに乗っけたり下ろしたりしていた。

現況では施設でも無意味な時間を

過ごすことになりかねない。

 

それより新しい刺激を受けて

少し回復した時点でパソコンを与えれば

もしかしたら元のように

操作し出すのではないかってこと。

 

今パソコンを与えてもまず「変らない」が

フラワーアレンジメントに限らないが

新しい刺激で「変わる」という期待。

 

しかしこう書いてみたところで

そんなことじゃ「変わらない」

ってのが業界の認識みたいだ。

 

私の考えってそんなにオカシイだろうか??

と言う以前に主旨が通じていないから

そう言われてしまうと思うのだけど???

 

第三者は父の言い分を額面通り受けて

それが「生きがい」と判断してしまうが

必ずしもベストとは限らないんじゃないかな。